DCP完成
試写に行く
上映素材のDCPの完成の連絡が入る。
試写が可能な日を確認して急遽、今日向かうことにした。
確認して直しの箇所があった場合なるべく早い方が良い。
直しなんかないだろうとは思っていたけれど。
数人で試写が可能と言われていたけれど急に決まったから一人で向かった。
部屋いっぱいの大きなスクリーン。
すでにあたたまっている映写機。
映画『演者』上映素材の初投影。
ご担当と二人だけの試写が始まった。
映画感
精細感で言えば実際にBlu-rayもほとんど変わらないはずだ。
音声のスペックも全く同じのはずだ。
ただコーデックで考えれば圧縮されているかいないかの差はある。
人間の視覚でそれがどこまでわかるのだろう?とは思っていた。
実際に映画館で映画を観て上映素材の形式を当てられるだろうか。
それでも上映機会が少しでも増える可能性を考えてDCPを製作した。
もちろんBlu-rayも製作する。それは自力で。
そして試写が始まった瞬間、目を見張った。
映画『演者』を誰よりも多く僕は観てきた。
完成前から全クリップを観て、完成後も繰り返し確認を重ねた。
その僕がこれまでの画質とまったく違うと感じた。
映写機やスクリーンのスペックかもしれないけれど確かに違った。
不思議なことに音声まで今までよりもずっとクリアに聴こえる。
まぁ、音声も映画館の音響施設でまったく変わるだろうけれど。
何よりも今までで一番、映画だという感覚を強く感じた。
チェックぐらいに考えていたのに想像を超えてきた。
デジタルフィルム
DCPはデジタルシネマパッケージの略称。このファイルの設計思想はフィルムの完全なデジタル化というところから始まっている。だから縦横比も基本的に35mmフィルムからとっているし、フィルムと同じように1コマ1コマの画像をデジタル化して、それをフィルムと同じ1秒間に24コマで再生していく。
放送や配信、DVDやBlu-rayの動画の圧縮方式と根本的に違う。平面を圧縮し、連続したコマで変化のない部分をまとめて、あの小さなディスクや電波に乗せられるだけのデータ量にしている。当然、劣化はするのだけれど最近の圧縮方式は技術が向上してかなり美しくなっている。弱点と言えばどこかでデータエラーが出るとブロックノイズが出てしまったりすることだ。一カ所のエラーが広範囲や連続した時間軸に影響を与えてしまう。
だからなのだろうか?この映画だなぁと感じるのは。一枚一枚のフィルムのコマが順番に映写機に送られていくたったそれだけのことが映画であると僕の感覚に訴えてくる。
恐らく映画祭や試写会で観た人も全然違うと感じるのではないだろうか。
会場が違っただけで、その違いを感じることが出来るのだから。
まさか再び、映画になったと感じる日が来るだなんて。
新鮮
だからだろうか?
もう何十回と観てきた映画『演者』を驚いたことに僕は再び新鮮な目で観ることになった。細かいしぐさを新鮮に感じたりした。
びくって驚いたりもした。次が何か知っているのに。
それと少しだけ涙ぐんだ。少しだけね。
明らかに心を揺り動かされていた。
監督なのに。全てを知っているのに。
新鮮な感覚ほど貴重なものはないのだ。
初見は二度と戻らない。
それを感じることが出来ただけで大収穫だった。
説明出来ない
涙の理由は説明できない。
それは最初からずっとそうだった。
色々と変わったけれど元となった舞台でもそうだった。
コメディ作品の間に急にシリアスだから戸惑うかもと思っていたぐらいで、お客様が涙を流すような作品だとは実際にほとんど考えていなかったから、肩を震わせたりすすり泣く声が聞こえてきた時は、衝撃だった。
編集中もそうだった。
泣ける映画にするならこうなんだろうなぁなんて考えつつ、いくつかの案はこの作品にはそぐわないと却下したはず。泣けるを目標にしたくなかった。
でも試写会や映画祭で涙が出ているお客様が存在していた。
あの涙に理由はたぶんないのだと思う。
説明出来ない涙というのは存在している。
実際にすごく楽しんでくださった方でも涙を流さない方もたくさんいらっしゃった。どこで涙を流したんだろう?と思う人もいるかもしれない。
そういう類の涙なのだと思う。
人によって共感する部分もきっと違うだろう。
今日、観て改めてそれがわかった。
それ以上
映画館でかかればそれ以上になる。
だって映画館なのだから。
チケット予約の段階から始まるのだから。
座席に着いた瞬間、もう映画なのだから。
そして改めて思った。
一人でも多くの人とこの体験を共有しなくてはいけないと。
届けないといけないと。
様々な作品を観ているであろうミニシアターファンでもまだこの作品を知らない人もいるはずなのだ。
何かのきっかけで知ってほしい。
地道に伝え続けるしかないのだけれど。