ここからの全部だ
届くこと
いつも信じていることがある。
それは必ず誠意を込めれば届くのだということだ。
届かないはずがないと信じる。
そうやってきた。
逆を言えばそれしかなかったのかもしれないけど。
2回目
劇団でセブンガールズという映画を製作した。
あの日から二回目の映画公開を迎えることになる。
本当に公開できたのだというあの日の感動は忘れられない。
二回目はどんな気分なのだろう?
驚いたのはあっという間に席が埋まったことだった。
舞台と違ってチケット代も映画の方が安く、劇場よりも映画館の方がお友達を誘いやすいと友人から言われたりもした。
それに本当に映画を完成させたということに一緒に驚き、それがどんな作品なのか楽しみにしてくれた。
それが僕たちの夢の方向にむかっていることもわかってくれていた。
信じられないほどの反応は今も忘れられない。
だからと言って今回も同じとは限らない。
何が届くだろう
映画「演者」公開のニュースで何が届いただろう。
あの時から数えれば二回目なのだから、あの時よりも驚いてはいないのかもしれないなんて考えたりもする。
ある意味で今回の方が公開できることは凄いことなのだけれど、そんなことはきっと伝わるようなことじゃないと思う。
この作品が夢の方向にむかっていることはどこまで伝わっているのだろう。
僕の頭の中で考えていることなんかもう誰に話しても笑われてしまうような壮大なことなので、どうにもこうにもなのだけれど。
それでもそうなりたいし、そこに一歩でも近づけるんじゃないかって期待してる。
信頼
この作品は「信頼」だけで製作した。
信頼できる仲間に相談して、信頼できる仲間に出演してもらって。
クラウドファンディングで信頼してくださった方が支援してくれた。
そして今、その信頼に応えなくちゃいけない。
本当に信頼に応えるのであれば、おかしな言い方かもしれないけれど裏切りがないといけないと思っている。
なぜならそこに「驚き」がないと成立しないものがあるからだ。
嘘だろ!って思うような、良い意味で期待を裏切るべきだ。
誰もが想像出来る範囲で喜んでもらうことだけではいけないんだよなぁって僕なんかはどうしても考えてしまう。
だってそれはもう誰かの頭の中に生まれている当たり前だから。
僕はそうだった。
本当に信頼している人からはたくさんの「驚き」をもらった。
何度も何度も、すげえ!まぢかよ!って口にした。
それを繰り返すことだけが本当の誠意であり、感謝だと思っている。
そういう全てで楽しんでもらわないと。
満足できない。
震えるようなこと
感動するっていう言葉は好きだ。
心が動くことを感じるのならば、それはすべて感動だと思ってる。
だから笑うことも、泣くことも、怒ることも。
全部、感動の一部なんだぜって思っている。
でも。その。
「泣ける映画」とかはどうでもいいなぁって思ってしまう。
「笑える映画」とかもちょっとなぁって思ってしまう。
そうじゃない。
僕自身が感じたいのは、震えて、席を立てなくなるような。
あの信じがたい感動だ。
口を閉じることも忘れてしまうようなあの時間だ。
自分自身に驚いてしまうような電撃だ。
それに出会うためにやっている。
それに出会ってもらうためにやっている。
それ以外にないだろ。そんなの。
ここからの全部だ
ここからの全部が表現だ。
映画の内容だけじゃない。
この映画が進むサクセスそのものがエンターテイメントだ。
このnoteは、その記録になるだろう。
セブンガールズの連日書き続けたBLOGも。
「破壊の日」のクラウドファンディングで書き続けた製作日誌も。
いつも本当に誰かが読んでいるのかな?って不安になった。
多分、これもそうなっていくんだと思う。
けれど。
ここからの全部を楽しんでもらわないと。
何が起きて、どんな驚きが待っているか。
その全てを。
その先に。
何が届くだろう。