制約は「人を縛る」のではなく「人に力」を与える
「障害をもった人を前にすると、どうすればいいのかわからない......」
日常的に障害をもった方と触れ合ったことがあまりない僕は、突然触れ合う状況に出くわすと、そんなことを頭の中で思ってしまう。当たり前になっていない現実に対して、思考がうまく回らない、そんなことがよくあるのだ。
そんな僕の中にある考えにパンチを与える出来事があった。
それが、soarというメディアが開催していたイベント「"その人らしさが立ち上がる、居場所のつくりかた"」だ。
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イベントの中では、障害福祉施設「まる」からきたお二人から、施設で働く人の紹介がされた。そこで紹介された障害をもった人は、どの方も障害なんて感じさせずに元気に生きているそう。
当たり前に働いて、当たり前にモノを作って、当たり前に笑う、もともとのイメージとは違う姿が見えてきた。
イメージだけ先行してしまうと、誰にとってもよくないことを思い知らされたのだった。
想像力は、プラスに働けば世界を変える力があるが、マイナスに働けばそれは世界を、人と人の関係を歪める力になる。そのマイナスな力が今回は、障害という(当事者には当たり前なのに、それ以外の人には特別にみえてしまう)制約じみたものに向けられたわけだ。
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たしかに制約は、ときには重い病気となって人にのしかかってきたり、身動きを取りづらくして人を「窮屈」に感じさせてしまうかもしれない。
でも、制約は人に力を与えるものだし、強い制約はより強い勇気と力を生むものなんだ、と勝手に思ったのだった。
制約は、どんな人も生きていれば必ずある。でも、
どうせ制約を受けるなら、僕もあらゆる制約を力に変えて雑草のように図太く生きていきたいなあと。