人間は"人間として"を破壊し、再定義しようとしている
「今のあなたにオススメの曲は◯◯です。」「栄養が最近偏っているので、今日のランチは◯◯にしましょう。」「あなたの今日のファッションは、場に適切ではないです。トップにシャツを着たほうがいいですよ。」
音声アシスタントが出てくると、
自分以上に、自分のことを知っていて、
自分以上に、自分のことを考えていて、
自分以上に、自分のことを気にかけて、
「そんな"自分にとっての"存在になっていくんだろうな」となんとなく感じてしまう。ただ、そこには「なってほしいな」の期待があるけど、一方で、恐怖さえある。それは、
「自分がどんどん考えない人間になっていく」
気がしてしてしまうからだ。それは考えるという行為が、
「自分が今ここに存在する証明」であり、「他の動物と人間を分けるもの」、
と、昔からある哲学者が唱えていたのに影響されたからかもしれない。
よく、「自分の人生は他人じゃなくて、自分で決めなよ」って言われるけど、
音声アシスタントを始めとするAIは「"他人"に入るのか?」
AIが提案して決めたことは、「自分が決めたこと」といっていいのか。
やっぱり、「他人が決めたこと」なのだろうか、と思う。
考えることは自分にとって、特別なことのように考えていたから余計、
"こうあるべきだ"、という価値観がじゃまをする。
自分をアップデートし続けて、今の時代にあった「人間ってなに?」
を自分で定義していかないと、デジタルネイティブ以降の人にとっての
"むかしの人"になってしまう。だから、未来にワクワクしながらも、少しの
危機を感じてしまうのだ、と。
思うと、これまで僕たち人間は、「人間として」を"自ら破壊して、自ら再定義"
し続けてきたのだと思う。道具(≒テクノロジー)を発明しつずけ、既存の
「人間として」を破壊し、新しい「人間」を手に入れてきた。
新しい「人間として」を受け入れることができない人から"むかしの人"になった。
置いてかれるほど、社会での活躍はできなくなる。最悪の場合、命を落とすこともあっただろう、と思う。
まさに、自らを、自らで、定義し直すことは、「人間」の宿命なのかもしれない。
僕は、自分の生命に課せられた、「自分たちを再定義しつづけないといけない定め」を受け入れて、いきたいと思う年末。