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エコロジー・リーディング実践編~「きつねの窓」②~

エコロジー・リーディング「きつねの窓」の実践記録である。「海の命」の反省を踏まえつつ、改良を図っていきたい。
なおこの授業、岐阜聖徳学園大学の神永先生の協力のもと、実践している。「きつねの窓」は本校が使用している教科書には載っていないので、ありがたい機会をいただいた。感謝しながら実践を進めたい。

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※「きつねの窓」の実践記録マガジンはこちら!

4時間目の授業になる。ここでは「人物」の視点で読み、関係図をまとめた。

前時の振り返り

授業を始める前に、昨日の振り返りを行った(板書右)。
時間、空間と読んできて、徐々に子供たちの読みが進んでいっていることを感じたので共有してみた。この、子供たちの読みが進んでいるという状況を、教師が捉えて子供たちに返していく作業は重要だ。この作業によって、子供たちは他者の解釈に出会うからである。他者の読みに出会うことは、自分が考えていなかったことに出会うという意味もあるが、自分の読みが揺らいだり、あるいは強化されたりということも考えられる。いずれにせよ、他者との出会いによって、自分が何を考えようとしているのか、輪郭がよりくっきりしてくるのではないかと思う。こうした作業の延長に、その子が考えたい問いやテーマというのが現れるのではないだろうか。
この時の話し合いで出た内容を簡単にまとめると、

・ききょうは亡くなったきつねの母…ではないか
・窓に映るものは、映像というよりベストショット…?でもどうして写真の時と動画のような時があるのか…また、ぼくの窓には違うことが映るが、きつねの窓にも違うものが映るのだろうか
・2回目のぼくの窓に映ったのは家であって、妹や母ではない…これは誰の視点…?
・ききょうの花言葉は「永遠の愛」だが、愛にも色々ある。親子愛、恋人愛、ものへの愛…窓に映るものはその人が愛しているものかも
・きつねは、そもそも何をしたのかったのか…お母さんに教えてもらった人情を伝えたかった?

人物の視点から読む

人物についてシミュレーションするために、関係図を作成した。関係図が完成したら、人物像などをさらに書き込んでいく。

関係図をつくることですぐに多くの子が気づいたのは、ぼくときつねの関係図が似ているということである。両者とも母を亡くしていると思われることに気づくことは、今後の読みを深めていく上で重要な発見である。子供たちが人物関係をシミュレーションする作業が、このような発見を生んでいることは、物語世界をシミュレーションすることの価値であろう。
一方で、上の写真の子のノートの左側のシミュレーションは、かなりこの子の想像が入っている。これはこの子なりのシミュレーションであるが、十分には根拠付けられてはいない。ただ、読みを進めていく上で、このような自由なシミュレーションも認めていくことが私は大事だと考えている。このことは複数の文脈から価値づけられることだ思うが、とりわけ、こうした自由なシミュレーションを通して、子供たちなりに物語世界と遊んで、その世界を理解しようとしている点は強調したい。こうしたシミュレーションに十分な根拠がないことは承知しているが、読みを進めていく過程で、このような根拠付けられない、遊びとしての読みを生み出している子供たちの姿を見落としてはいけないと思う。こうした遊びを排除することは、授業や子供たちの思考を硬直化させ、結果的には十分に読みを深められないのではないだろうか。現行の学習指導要領は一人一人の子供へのまなざしを回復させていくことが目指されているが、例えば文学を読む過程における、こうした子供の姿を、どんなまなざしで見つめるかは大切なことだと思う。そしておそらく、この子だって、最後までこの根拠のない読みを突き通そうとは思わないだろう。でもここで遊んだことで、ノートに書かれているように「きつねはぼくを助けようとして指を染めてくれたと思った」という読みを生み出している。大人であれば、きつねは鉄砲を回収するために指を染めたと考えそうだが、この子はそうは考えていない。そして、このようにきつねの思いを読むことは、すぐには棄却できないのではないかと思う。この子の読みが、どう展開していくか楽しみだ。

次時の予定

今朝、連日参観している神永先生と来週の打ち合わせをした。3つの視点からのシミュレーションを終え、来週からはそれぞれの追究が始まる。
ちょうど単元の折り返し地点でミーティングできたことはありがたい。何より、参観されることで、私にも子供にも授業にハリが出る。神永先生がデータの整理をしやすくしようと、いつもはノートの形式は自由にしているが、今回は指定の形で進めている。GIGAスクール以後、ノートが自由化していたが、研究となると、このように形式がそろっているのは観察しやすいと思った。そしてそのことで私も子供も、互いの思考が見えやすくなっているようにも思う。個別最適化が叫ばれるが、このような形式統一も、場合によってはいいことじゃないかと思えた。

「海の命」の時は問いカードに問いを書かせたが、今回は問いじゃなくても良いかと思っている。子供たちの現状を見ると、問いの形にまではなってなくても、考えたいことが生まれてきている感じだ。なのでその感じを、現在地報告みたいな感じでそのまま出してもらって、位置が近い子同士でやんわりちグルーピングしていこうと思う。

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