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「トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉」旧版との比較、ちょっと

トーベ・ヤンソンの評伝、ボエル・ヴェスティン著「トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉」(以下「新版」と呼称)を購入しました。

改訳前の旧バージョンである「トーベ・ヤンソン ―仕事、愛、ムーミン―」(以下「旧版」と呼称)を図書館で借りて、少しだけ比較してみました。

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左が図書館から借りた旧版。右が自分で買った新版です。

細かな変更は数え切れなくて、把握するのも一苦労なので、気になる点だけ比べてみました。
やっぱり日本に関する記述が気になるので、トーベが世界旅行の始めに日本に来たところと、最後の方のアツミタミコからの手紙のところを比較します。


・タミコからの手紙

まずは旧版の方から。

親愛なるヤンソンさん
とても聡明なお手紙をありがとうございます。
フィンランドの森は大きくて、海も広くて、でも家はとても小さいのですね。
作家と出会うのはその作品の中でだけであるべきだ、というのは素敵な考えですね。
私は一日じゅう、勉強しています。
お体に気をつけて長生きなさってください。
               あなたのアツミタミコより

(引用:ボエル・ウェスティン 畑中麻紀・森下圭子訳, トーベ・ヤンソン ―仕事、愛、ムーミン―, P615)

そして新版の方です。

 Dearヤンソンさん

(中略)
作家と出会うのはその作品の中でだけであるべきだ、というのは素敵な考えですね。
いつも学ぶことばかりです。
お体に気をつけて長生きなさってください。

       あなたのタミコアツミより

(引用:ボエル・ヴェスティン 畑中麻紀・森下圭子訳, トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉, P613)

(中略)の部分の2文は旧版と全く同じ文章です。
「親愛なる」を「Dear」としていますが、ここは「私はこう訳したいの!」という畑中さんの翻訳家としての欲求のようなものが感じられますね。
またムーミンファンの女の子は「親愛なる」というような表現は使わずにこう書くだろう、という訳者の考えの表れのようにも見えます。
それにタミコが現代っ子っぽくなって、より令和の時代の読み物らしくなって読者にとってもありがたいのではないでしょうか。
「勉強しています。」から「学ぶことばかりです。」に替えたのは、訳者気合入ってるなと感じます。この本に賭けてるんだ!という真剣さが窺えます。
文章の流れも自然になり、タミコの考えがしっかり伝わってくるようになりました。
「アツミタミコ」から「タミコアツミ」にしたことで、トーベが考え出した架空の人物ということが強調されるようになった気がします。
これだけの文でもかなり変更されてますね。この調子で600ページと考えると大変な仕事ですね。


・トーベの最後の文章

評伝によると、以下がトーベの最後の著作の最後の文章とのことです。
これはタミコの手紙でなく、他の日本人からの手紙という設定でトーベが作った文らしいです。

まずは旧版。

親愛なるヤンソンさん
この世は危険です、お体を大切になさってください。
どうか長生きなさってください。
愛をこめて。

(引用:トーベ・ヤンソン ―仕事、愛、ムーミン―, P615~616)

そして新版。

親愛なるヤンソンさん
この世は危険です、お体大切になさってください。
末永く、お元気で。
                 愛をこめて

(引用:トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉, P614)

旧版はいかにも翻訳ものって感じですね。硬い文章のように感じます。
新版はスッと受け入れやすいですね、日本人の使う日本語らしいです。
別に旧版でも問題はないんですよ。気にしなければね。
でも考えに考え抜くと、納得いかなくなって変更したくなるという。
プロ意識ですよね。素人はこれでいいじゃんっていう甘えから、旧版の文で満足しちゃう。
そして実際に比較してみると、全然違うなあと思い知らされますね。
こう比較すると、断然新版の方が良いです。
旧版しか存在しなかったら、この引っかかりも気づかなかった。さすがプロだな、っていう変更ですね。


・トーベ日本に来る

トーベが初来日して講談社で撮った写真が載っていて、その写真の説明文が変更されています。

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(画像引用:トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉, P526)

まず旧版の説明文。

初来日時に訪問したムーミンの日本の翻訳本版元である講談社にて。後列一番右が当時の担当編集者鈴木良平氏(1971年)

(引用:トーベ・ヤンソン ―仕事、愛、ムーミン―, P530)

そして新版の説明文。

初来日時に訪問したムーミンの日本の翻訳元である講談社にて(1971年)

(引用:トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉, P526)

また英語版ではこのような説明になっています。

Tove Jansson and Tuulikki Pietilä as guests in Japan, 1971

(引用:Tove Jansson Life, Art, Words: The Authorized Biography Kindle版, P546/706)

旧版で写ってる人の名を説明してるのは、担当編集者は重要だとみなされたのと、あと旧版の出版社が講談社だからといういわば身内びいきでもあるでしょう。
新版で人物の説明をやめたのは、新版の出版社がフィルムアート社だから、講談社の内部の人間についての情報は重要度が下がったからだと思います。
しかしムーミンファンにとっては写っている人が誰かというのは気になるので、むしろ一人一人誰かの説明を足してほしいぐらいです。トーベと同席してるのが講談社の社長か部長か係長かによっても全然意味合いの違う写真になってきますので。

そして面白いのは、英語版を見ると「講談社」とも言ってないし、出版社での写真とも言ってないんですね。「日本にて」というめちゃくちゃ漠然とした情報。
もしかして原語のスウェーデン語版でも「講談社」とは言ってないのかもしれません。原語版は見てないので分かりませんが。
しかし英語版で「日本」としか言ってないのは、外国人にとって遠い日本の情報などさほど重要ではない、という態度が透けて見えるようで面白いですね。

そして本文の方に日本人としては捨て置けない情報が書かれています。
講談社によるムーミン本の出版についての説明です。

まずは旧版。

ムーミン本は最初の一冊として『ムーミン谷の冬』が一九六四年に、その後シリーズとしては一九六八年から一九七二年にかけて一挙に出版されたが、複数の翻訳者がおり(そのうちスウェーデン語がわかる者はふたりだけだった)、英語版からも訳されたため、当然のことながら、翻訳は統一性に欠けるものとなった。

(引用:トーベ・ヤンソン ―仕事、愛、ムーミン―, P530~531)

そして新版の文。

最初の一冊として『ムーミン谷の冬』が一九六四年に、その後のシリーズとしては一九六八年から一九七二年にかけて一挙に出版されたが、複数の翻訳者がおり(そのうちスウェーデン語がわかる者はふたりだけだった)、英語版からも訳されたため、当然のことながら、翻訳は統一性に欠けるものとなった。

(引用:トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉, P526)

新旧の文章の違いは特別どうということはないですね。

問題は「スウェーデン語がわかる者はふたりだけだった」という記述。

当時の翻訳者4名、山室静氏、下村隆一氏、小野寺百合子氏、鈴木徹郎氏、各々のWikipediaのページを読めばすぐ分かりますが、みんなスウェーデン語を習得していたのは明らかです。
何を根拠に二人だけと記したのか、ヴェスティン氏に問いただしたいところですが…。
英語版を頼りにせずスウェーデン語版の本だけから翻訳しているのは二人だけ、という情報をもとにヴェスティン氏の筆がつい滑ったという可能性もありますが、いずれにせよ誤りですね。

それでこの文章のすぐ後ろに翻訳者畑中氏による補足情報が書き加えられているのですが、なぜかその補足にも「スウェーデン語がわかる者はふたりだけ」という文については何も言及してないんですね。
恐らく日本のムーミンファンは調べればすぐ誤りだと分かるだろうから、いちいち訂正する必要もないという判断と、あと著者ヴェスティン氏の文章を尊重したいという翻訳者としての気持ちもあったのかもしれません。
またはスウェーデン語がわかるかどうかは当のスウェーデン人にしかわからない、という主観の話になるのであえて何も言わずそのまま訳した、ということかもしれません。

さらに問題はこれだけではありません。
同じ文章の英語版がどうなっているか、ご覧ください。

They had many different translators(only one of whom knew any Swedish), who worked from both the English and Finnish editions.

(引用:Tove Jansson Life, Art, Words: The Authorized Biography Kindle版, P545/706)

「スウェーデン語がわかる者はひとりだけだった」と減らされています!

原語版は確認していないので本来どうなのか分かりませんが、畑中氏の誤訳というのはまず考えられないので、恐らく英語版翻訳者の Silvester Mazzarella氏の誤訳ではないかと思われます。

ヴェスティン氏の「二人だけ」で既に失礼なのに、さらに英語版で失礼を上塗りされるという…。日本、踏んだり蹴ったりですね(笑)
やっぱり遠い異国の地のことは軽視してしまうという、まあどの国でもあることでしょうが、日本とスウェーデン、日本と英国、まだまだ遠いんだなあと思い知らされます。

でもこの「距離」を実感できたのは貴重な読書体験ですよね。
こういうのが外国の本を読む醍醐味とも言えるのではないでしょうか。
外国人の肌感覚を知ることは普段の日常生活では難しいですからね。

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