
ムーミン谷のなかまたち シーズン3 第6話 あらすじと感想
令和アニメ・ムーミン谷のなかまたち 32話(シーズン3 第6話)「トフトのイマジネーション」
Moominvalley Season3 EP6 Toffle's Tall Tales
・公式予告編
・あらすじ
冬が近づいてきた。トフトは冬の間は自分の住処に帰ると言い、ムーミントロールはスニフと一緒にトフトを送り届ける役目を引き受ける。スナフキンはムーミントロールに、トフトの想像力には注意しろと忠告する。トフトの住処へと向かう一行だったが、トフトの語る危険な話におびえるムーミントロールは、あっちへ行ってはこっちへ向かい、順調な旅路とは程遠く……。
・英語理解度
1回め(字幕なし):70%
2回め(英語字幕あり):85~90%
今話はかなり簡単な方だった。とくに難しいセリフは無かったが、最後のあたりは字幕なしでは聞き取れなかった。
・感想
今話の主人公はトフトです。
このトフトは童話9巻「ムーミン谷の十一月」のホムサ・トフトがモデルです。
童話での彼は架空のものを現実化する力を持っていて、自分の想像力が生み出した生き物がどんどん大きくなっていきます。
彼はムーミンというフィクションの中でフィクションを想像し現実化していくというメタフィクショナルな展開を引き起こすのですが、それはムーミンという物語が読者のうちで本物たりえるかどうかという問いかけを内包しているように思えます。
ムーミンとは架空のおとぎ話でしかないのか、それとも読者の心にしっかり根付いた本当のことなのか、というテーマを身に引き受けているのがトフトで、いわばトーベ・ヤンソンの分身でもあるわけです。
アニメのシーズン2でのラストシーンは、トフトがムーミン一家を見つけたところで終わるのですが、それはトフトの想像でしかないのか否か、つまり「ムーミン」という物語は本物かどうかという問いを視聴者に投げかけて、投げっぱなしで終わっていて、後はよろしく自分たちで決めてねっていう最後なので、腹の据わってない視聴者は困ってしまうわけです、「続きはあるの無いの、それ次第だよ!」となる。
だからシーズン3は制作者である Gutsyにとって勝負のシーズンとなるはずです。
「ムーミン」という物語は本物だ、それを今から見せてやるよと世界中に声高に宣言するシーズンになるでしょう。
だから今現在2024年、イギリスでシーズン3が公開されてもうすぐ2年経とうとしていますが、今は待ちの状態なのかもしれません。
世界の人々は本当にムーミンを必要としているのか?
我々にはやっぱりムーミンが必要だという声が真に高まり、本当のムーミンを見せてくれという希望が頂点に達した時、満を持してスタジオはシーズン3を世界公開するでしょう。
さて自分で物語を生み出す力のあるトフトは、クリエイターの分身であり写し鏡であり、あるべき姿を託すべき存在です。
今話のトフトは制作者である Gutsy自身、監督のJay Grace自身を表していると捉えてもよいでしょう。
で、これより先ネタバレあり。注意です!
トフトをクリエイター・発信者の側とみなすと、今回彼に付き添う相手役のムーミントロールは、受け手・消費者の側と見ることができます。
トフトは作り話でムーミントロールを引きずり回すものの、最後にはトフトの空想と思われていた世界、遊園地に辿り着き、想像力が具現化します。
これは受け手側に受け入れる気持ちがあれば、クリエイターの想像物は本物になり得る、受け手の心にしっかり根を張るということを言いたいのでしょう。
最後に二人は手を取り合って遊園地に向かっていきますが、これは作り手と受け手は相互関係にあるということ、お互いの気持ちがしっかり合わさった時に互恵関係が結ばれるということ、両者が相補的関係になれるという示唆であろうと思います。
今話のメッセージとして大まかに言いたいことは以上でしょうが、もっと具体的に作り手がどう考えるべきかをモランの登場シーンから読み解くことができます。
モランはトフトの持つランプに引き寄せられ、トフトはピンチになります。
ムーミントロールはランプを消せと言うが、トフトは怖くてできないと言う。
そこでムーミントロールは想像力を駆使せよと言う。
トフトは想像の世界を作り出し、そこでランプを消す。するとモランは去っていきます。
この一連の流れから、作り手は受け手の声に耳を傾けろと言いたいのでしょう。受け手の求めるものは何かを捜すこと、それが作り手のやるべきことだということです。
ランプを点けると周りが見えるようになります。
ランプが象徴するのは周りの雑音、雑念、ノイズであり、それが負の妄想を作り出し、孤独を引き寄せる。
孤独とは作り手の一人よがりが勝った受け手不在の状態です。
孤独に飲まれるとピンチになりますが、そこで受け手の声を聴き、想像力を駆使して受け手と共有できる世界をつくる。
ランプを消して孤独の寂しさが求める空虚な一人よがりの希求を排する。
ランプを消して負のイマジニングを排し、正のイマジニングを呼び起こす。
そうして受け手と繋がり合う。
受け手の声を聴いて想像力を駆使し、互いの望みの合致する世界を構築することで孤独を排する。そうして作り手は現状、周りの現実世界をコントロールできる、という可能性を描いているのがモランのシーンであると私は考えます。
……このように、メタなことをテーマにしているので、トフトにそういう役割があることを知らないと今話は楽しめないかもしれないですね。
アニメしか知らない原作未読のムーミンファンは今話をいまいちに感じるかも。
でもシーズン2の最終話を見てれば、トフトの役割にも普通は気づくはず。
だから問題はほんとに「想像力」なんですね。
視聴者の側も、ただ漫然とアニメを消費するだけでは駄目だということです。
現在日本でシーズン3は公開されてませんが、シーズン2でいったん区切りはついたわけですから、そこで自分にとってムーミンという存在はどういうものかという事を自問してみる。
そして自ら動くなり、あるいは只々シーズン3の日本公開を待ち続けるかは、自分次第です。
想像力さえあれば世の中いかようにも自由自在。ムーミン谷はあなたの心の中にある。
というようなことを言いたい第6話なのかなあ、なんて考えました。
・おすすめ度
★★★★