ポルシェに乗った地下芸人.7
アキちゃんとの挨拶をした僕は、とりあえず衣装に着替える事にした。
蒸し暑い初秋に雑居ビルの裏手で室外機のぬるい風に吹かれて屋外で着替えをする。
うん、実にアングラでかっこいいじゃないか。
着替え終わった僕は、念のため裏口から舞台袖に行ってみた。
やたらと重い金属製の古びたドアを強くひっぱる。
舞台の真裏にあるとは思えないギギッという嫌な音を出して開く。中に入ると真っ暗な、黒いカーテンに仕切られた舞台袖だ。
汚く千切られたセロハンテープでカーテンに香盤表が貼られている。僕は前半の5番目のようだ。さっきもらった紙をちゃんと見てない事を思い出した。
前半に6組、後半に5組。これが今日の出演者だ。さっきあったアキちゃんのコンビであるカルボナールは後半の4番目、セミファイナルだ。いや、それをセミファイナルと言うかも知らないけれど。
全組ネタをやったら、最後に大喜利をするらしい。
そのお題が裏手の扉に貼られるらしいが、先程は見当たらなかった。
一旦外に出ようと、また嫌な音がする金属扉を開ける。今度は内側から強く押すと、思いがけずガバッと勢いよく開いてしまった。
扉が開くと、そこに驚いた顔をしたまあまあなおじさんがいた。多分僕と同じか少し年上。アラフォーである事は確定のおじさん。
とりあえず挨拶した。
「本日出演させてもらいますジョニー小野です」
毎回「誰がジョニーやねん」というセルフツッコミを心の中でかましながら挨拶する。まあ、ある程度経験を積んだら名前は変えるつもりだし、とりあえずこれでいいやと思っていた。
アラフォーおじさんは関西のイントネーションで「司会の海原です。よろしくなぁ」と全然よろしくないしかめっつらのまま応えた。
司会をやるくらいならベテランなのだろう。しかし僕はこの海原氏の顔をテレビで見たことがない。そもそも名前も知らない。
きっと売れないまま40歳になるくらいだから心がねじ曲がって笑顔を忘れたのだろう。かわいそうに。漫画べしゃり暮らしで言っていた。いちばん笑わせるのはいちばん笑ったものだ的な事を。
だとしたら、海原氏は誰も笑わせてないから笑わないのか、笑えないから笑わせられないのか。
僕の心の中は、この海原氏がなぜ面白くないのか、売れてないのかという勝手な結論に基づいた考察でいっぱいになった。
そんな僕を不審そうに見ながら「ここにお題貼っとくから見とってな」といって扉にお題を貼った。
汚く切られたセロハンテープを見て、ああ、舞台袖に香盤を貼ったのもこの海原氏だなと直感して決めつけた。
大喜利のお題な2つ。
「お花見で満開の桜の下に誰もいない。なぜ?」
「このプロレスラー全然勝つ気がないな、なぜ?」
うーん。もう初秋。あと2、3週間経てば紅葉も楽しめる時期だ。
なのにお題がお花見。なぜ?
大喜利の前に大喜利が現れた。これば哲学みたいなやつなのだろうか。禅問答なのだろうか。
いやいや、これが売れないままベテランとなった海原氏の実力なのだろう。うんうん、せめて面白い回答をして盛り上げてやろう。
室外機の正面にあり風がガンガン吹きつけるベンチに腰掛けて回答を考える。
あれ、意外と難しいな。満開のお花見で、どういう状況なら人がいなくなるのか。いや、クイズではないから理由を本当に考えてしまってはダメだ。
たしかお笑いのノウハウを書いたという構成作家とかいう人の無粋な本を思い出す。そうだ、大喜利とは予想外の答えや上手いことを言うとウケるシステムだ。
お花見に掛かる言葉は何かないか。お酒、花見団子、場所取り、うーん分からない。
考え込んでいると、隣に汚い、実に汚い肩掛け鞄を持った僕と同じくらいの年齢と思われるスキンヘッドの大柄な男が座った。
背は僕より少し高いから175くらいか。がっちりしてるから普段は肉体労働者かもしれない。
一応挨拶しようかまよっていると向こうから「あ、挨拶よろしいですか?」と聞いてきた。「挨拶をダメというやつはいないだろ」という優れたツッコミを心に浮かべつつ「あ、もちろんです」と答える。
彼はペルル2世というらしい。お互いに名乗っただけで会話は終わった。僕は少し話してみたかったが、ペルル2世は僕が名乗るとニコッと実に君の悪い笑顔をうかべて着替え始めた。
いや、厳密にいうと「服を脱いだ」ブリーフ1枚になったまま、ペルルはベンチに座っている。
「あの、ペルルさんは着替えないんですか?」と尋ねた。
「ああ、私、これが衣装なんですよ」
まさかのペルルは一人称が「私」だった。
僕は、お笑いの場においては必ず「僕」という一人称を使うようにしようと決めていた。僕が「私」を使うと完全に社会人、ビジネスマン感が強すぎると思ったからだ。あえて柔らかさを出すために一人称さえ調整する。さすが僕だ。
それはともかく、ペルルはブリーフで舞台に上がるらしい。ブリーフの前のところが茶色く変色している。なかなかの尿漏れ感と、繰り返し漏れ続けていないとできないような深い茶色のシミ。
ペルル2世は恐るべき存在なのかもしれない。
尿漏れブリーフ1枚のおじさんが舞台に出て何をしようというのか。
考え込みすぎて焦点があっていなかった。
我に返って隣をあらためて見ると、ペルルは顔を真っ白に塗っていた。坊主頭の髪が生えている部分を除き、丁寧に塗り込んでいる。
昔の金田一探偵かなんかでみたスケキヨだかコレキヨだかのようだ。
顔を白く塗った尿漏れブリーフ。意外とすね毛は剃っているのか足がきれいなのが気持ち悪さを倍増させている。
なぜかヘソ毛は剃ってない。だからブリーフ上部から陰毛がはみ出しているように見える。
さっきの不潔なキノコ頭のアキちゃんがまともに見える。
これが地下芸人ってやつなのか。なぜか期待に胸が高まる僕であった。
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