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ポルシェに乗った地下芸人.1

今から5年前の8月。36歳で僕はお笑いの舞台に立った。

娘が産まれる約一月前。

中野にある雑居ビルの地下一階。濃厚なカビが香る、20人も入れば超満員札止めが出るような小さな劇場である。

その時のじっとりとした緊張は今でも思い出す。

飛鳥製薬という実在する会社をテーマにしたフリップネタ。

フリップネタというのは、画用紙などに書いたり印刷したネタをめくりながらしゃべる形式のネタである。

有名なところでは、バカリズムさん(業界的な慣行で、僕より芸歴が長いお笑い芸人には全てさん付で統一させていただく)の「トツギーノ」を思い浮かべていただくと分かりやすい。

お客さんは2〜3人。客席の最後列で他の芸人のネタを見る出演者の方が多い。

後に、これが何の経歴もない、人脈もない人間が舞台に立つ場合のスタンダードであると思い知る。

自分の出番が楽屋(というにはこじんまりとした、バイト先の休憩所のような空間)が張り出されている。

よく分からないから、自分の順番の3組前には舞台袖の周囲をウロウロする。

フリップを乗せたイーゼル(絵を描く時にキャンバスを乗せて立てるあれ)が、出番前後で舞台袖を出入りする芸人たちの邪魔になる。

しかし、こちらにそれを気遣う余裕などない。

何をどう話すんだっけ?

フリップの順番は合ってたっけ?

挨拶ってどうするんだ?「どーもー」とか言っても、僕なんて誰も知らない訳だから恥ずかしいよな。

ど素人が芸人ぶって舞台に出てるって思われたらどうしよう。

久しぶりに感じた緊張で手汗が凄い。日頃の会社経営でも味わう事のない頭の芯がギューっと掴まれるような、妙な高揚感。

しかし、当然順番は来る。

出囃子が鳴り、僕の名前が呼ばれた。

「ジョニー小野」

なんだこの名前。誰だよ。そもそもどういう意味だよ。

緊張を誤魔化すようにどうでもいい思考が頭を巡る。

出囃子の知らないポップスが止む。暗転(照明が全て消された状態)していた舞台を照明が全開に照らす。

慌ててフリップを乗せたイーゼルを持って舞台の中央に進む。

ありきたりだが「もう後戻りはできない」とか心の中で言ってみた。

案の定「どうもー、ジョニー小野でーす」とどこかで見たようなお笑い芸人風の挨拶を震える声でしながら、夢中でしゃべってフリップをめくった。

客席を見る余裕なんてないけど、受けていない事だけは分かった。

セリフを忘れてもネタができるようにとフリップネタにした。めくりながら、思い出しながら、ひたすら何かをしゃべった。

気がついたら最後の一枚。

とりあえずネットで調べた「ネタ終わりは挨拶。ありがとうございましたと言えば照明が落ちて出番が終わる」の通り、大きな声で挨拶をした。

照明が落ちて、めくったフリップを回収して慌てて舞台袖にはける。

あっという間だった。持ち時間3分。もう一瞬に思えた。

顔が熱い。ウケてなかった。絶対笑わせられると思ってた。他の芸人を見て「俺の方がおもろい」とさえ密かに思っていたが、全然通用しなかった。恥ずかしい。失敗だ。失敗した。恥ずかしい。

何が悪かったのか。でもネタ中の事なんて覚えてない。必死に喋ってただけ。

うっすらと「はじめてのセックスみたいなもんだな」と適当な事を思い浮かべて、くだらねぇと打ち消した。

お金を払って、数人の前で変なフリップを披露して、スベった。なんだこの無駄な時間は。こんな事なら会社の仕事すりゃあよかった。

臨月の嫁を家にひとり置いて、僕は何をしてるんだ。

僕をスベらせた憎きフリップを乱暴にポルシェのフロントトランクにぶちこみ、やや深めにアクセルを踏み込んで、家路についた。

こんな日も、僕のポルシェは軽やかに水平六気筒エンジンを響かせて、快調に首都高を走る。

まだ夜でも熱い8月。屋根を全開にして走った。生ぬるい、トラックの排気ガスが濃く混ざった風を顔に受けながら、「なんでやねん!!!!!」と強めに叫んだ。板橋本町出口の先あたりである。

何がなんでやねんなのか分からないが、とりあえず叫ばざるを得ないと思った。

この日から、全てが始まった。

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