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髪を切りに
私は服装などに割と寛容な研究者の中でも、ちゃんとしてないカッコをしている方だと思う。ちゃんとしてないといっても汚かったり臭かったりするわけではなく、良くも悪くも目立つカッコ、ということである。
ある日、とある偉いひとから、「もうちょっとちゃんとしたカッコをしなさい」と注意された。再三やんわりと指摘されていたのにもかかわらず、しれっと無視していたものだから、割としっかりと。
これまでは「悪目立ちしてるぞ」くらいだったので、意地っぱりな私はそれを黙殺してきた。
中々にダメな奴だ。
しかし今回は加えて「その分(悪目立ちのマイナスの分)成果出てるか」と問われた。とても耳が痛い話だった。
耳が痛いと同時に私がそれまで張っていた意地がふっと崩れたような気がした。
なぜこんな意地を張ったのだろうと冷静になって自問する。
私は「みんなと一緒」であることが昔から苦手で、どこかうっすらと不安な気持ちになる。集団の中でも自信をもって「私は~」と生きていければよいのだけど、私は残念ながら子供の時からそうではなかったので、集団にいると私が消えて埋もれてしまうような気がして、それが不安さの要因なのかもしれない。
ある集団から抜け出ようとする時に方法はたぶん2通りある。その集団内で突出した存在になるか、その集団と違う選択をするか、である。前者、特に秀でる形で突出するのは大変な努力がいる。後者の手段を取る方が簡単だ。
だから私はみんなが選ぶ黒のランドセルじゃなくて青いランドセルにしたし、高校も同じ中学の人たちがいないところに行った。みんなが選ばなさそうな方を選ぶことで集団から離れ、「私らしさ」的なものを獲得してきたのである。
今までの人生では概ねこれでうまくいっていた、ような気がする。
しかし飯を食う、ということを考えたときにはどうだろうか。「みんなと一緒」が苦手だからといって職業コミュニティから外れてお金がもらえるとは思わない。
でも私はいつもの通り、自分に自信が持てなくて、不安で仕方がないからついみんながしないカッコをすることで集団から外れようとしていた。
そこまで考えた時、今の自分が持ってる不安さの正体がわかり、そんなに怖いものではなくなった。科学の力で心霊現象が説明された時のような、そんな感じ。
それと同時に研究者の中で埋もれるのならいいじゃないか、とも思った。
私が主著として書く論文はどんなにしょぼしょぼでも間違いなく私にしか書けない。「私らしさ」の獲得にはもってこいじゃないか。
何となく前向きになれたような気がする。
いい歳になった私にわざわざ耳の痛い話をしてくれた偉い人には感謝しなくてはならない。
いま持ってる服を取っ替えるお金はないけど、とりあえず髪を切りに行こう。