出張耐性と研究者
ひとくちに研究者といってもその実態はさまざまである。
日々黙々と書物や文書と格闘するスタイルの人もいるし、実験に明け暮れる人もいる。はたまた「はやぶさ」みたいに宇宙からサンプル取ってくるぜ、みたいな人だっている。
私は、属している分野の特性上、自ら現地で調査する必要があるので、研究者全体で見ると出張が多い(と思う)。
出張するにあたって、問題になるのは行く先々の生活環境の適応である。極端な乗り物酔いの人は移動がそもそも苦痛であるし、枕が変わると眠れなくなる人や、米やみそ汁が無いと!といった人は出張中なかなか大変そうである。
私はというと、そうした適応能力はとても高い方で、むしろ行く先々のものを積極的に摂取してやろうという気持ちでいる。
かつて訪れた南国のとある島では、現地の人がくれた正体不明の魚の煮物を食べたり(生煮えだったのでこっそり内臓はすてた)、ちゃっかりビーサンで現地スタイルの結婚式に参列させてもらったりした。
拠点としている首都圏とは全く異なる、その地場のものを食べたり、いつもとは全く違う風景を見たり出来るので、仕事とはいえ出張は楽しい。
その一方で、「じゃあそこの住人になれますか」と問われると全く自信がない。都市圏以外でよく感じられる、あの何ともいえないフレンドリーさに対応できる気がしないし、実際できたこともない。
フレンドリーさがウザいとか苦手とかそういうわけではない。むしろ私なんかにそのように接してくれてありがたいと思うことがしばしばなのであるが、いかんせんそれに対する適切な応答ができない。そして、そういう時に適切な応答ができない自分がいい歳して恥ずかしいな、と思ってしまう。
高知へ行った際、とある居酒屋に行った。店員さんが、知らない料理名の内容やらそれに合う酒やら、向こうも仕事とはいえ、それはそれは親切に接客してくれた。当の私は、うまいこと返事ができないばかりか、リアクションも薄めなので、ともすると「楽しんでないヤツ」「絡みがウザいと思ってるヤツ」と判断されかねなかった。
ふと外を見ると「高知家」というノボリが掲げられていた。県全体を「家」に見立てた、あたたかな県民性などをウリにするキャンペーンであるそうだ。
その時、ふいに私は「家族の一員になれるのか」という問いを突きつけられたような感じがした。
もちろんそれは私の思い込みで、一見の客にそんなことを迫る店はホラーでしかない。
でもやはりフレンドリーな店員さんに相変わらず不器用で無愛想に取られかねない返事をしてしまう私は、きっと家族の一員にはなれないのであろう、そしてどこまでいっても出張を重ねる「ヨソモノ」であるべき人間なんだろう…
そんなことをぐるぐると考えながら店を後にした。