人生をメモる
3日前に、何を食べたのか思い出せない
人の人生って生まれた時から、死ぬ時まで一本の線のようなイメージだけど、実際には「今この瞬間」しか確かには存在しない。今この瞬間が点として実在するイメージ。
未来は全く現時点には存在しないし、過去も現時点には存在してなくて、記憶という脳内のメモリーに映像的にコピーのようなものが置いてあるか、スマホのストレージの中に写真やちょっとしたメモが、現実のコピーのようなデータとして残ってるか みたいなもの。
そう考えると、3日前に何を食べたのかも思い出せないような、自分のヤバめの脳みそにメモリーを一任してることに不安を感じるようになった。
だって、死ぬ直前に思い出してみて3日分の記憶しかなかったら、人生が3日だったのと同じじゃないかって。
まぁ、実際は大事な記憶は(経年と思い込みで多少ねじ曲げられてることはあるだろうけど)残ってるわけではあるので、人生3日やん!みたいな大袈裟な話では無いんだけど、とにかく日々のことをヤバめの脳みそのメモリーなんかに頼らず、丁寧に文章にして残しておきたいなと思った。
たまには自分の文章を見て記憶を再確認したり思い出したり、いずれはパパが何を思い生きてきたかを、子供たちに知ってもらいたいし、何より自分が死ぬときに人生の記憶をできる限り遡って、『うん、色々あったな。ありがとう、この世。』と思いながら死にたい。
なので、出来る限り文章を書いていこうと思った35歳の春です。
初めての匿名ブログ
何が普通かはよく分からないけど、ITサービス関係という職業柄なのか僕の周りではSNSを実名でやる人が多くて、自分もこれまでは実名でTwitterもFacebook(あたりまえか)も、ブログもインスタもやってきた。
『実名ってお前有名人なんかい!』って言われると、そういうことでは無くて、単純にSNSでリア友と繋がってますということ。
友達だけじゃなくて、仕事仲間や社外の仕事関係者や、一部のお客様(ユーザーさん)ともSNSで繋がってたりする。
で、こうなってくるとSNSはフォロワーありきの発信ツールになっていき、自分のためのログとはかけ離れていく。
部下が見ているのに、マネジメントとか組織作りの気付きは書きにくいし、お客様の前で仕事の課題や弱音なんかも書けない。
うっすい仕事関係の社外の方の前で、家族への感謝もなんだかハズくて書けけない。
息苦しいとか、ポジショントーク書いてるとかそういうことじゃなくて、その場所の役割的にそんなこと書くよりも適した書くべきことがあるよなと思う感じ。
そう、実名だから。仕事仲間やお客様が見ているから。その人たちに向けてそこでは書きたいから。
なので、今回は匿名という形で自分のために書く。僕には初めての挑戦なのです。
日記じゃいかんの?
日記で良い。過去に紙のいわゆる日記も半年くらい書いた。でもちょっと気を抜いて2週間くらい描かない間に、日記ごとどっかに行った。
エメラルドグリーンが綺麗な革の手帳。
黄色の小さなボールペンも一緒に。
気を抜くと無くしてしまう。
オンラインの日記は?
それは最高。実際やってみた。
クラウド保存なので無くすとかもない。
けど続かなかった。
多分誰も見てくれてないから。
いやいや、お前自分のためのログ残したいんちゃうんかい って話なんだけど、さすがに誰にも見られてないことが確定だと頑張れない笑
情けないとは思いつつも、まぁ、これが実際のところなので、『もしかしたら誰かが通りすがりに、読んでくれるかも?』と自分の中でのワクワク感を持ちながら、リア友や仕事仲間には言うことなく、文章を書いていこうと思うのです。
今日が初日。
noteさん、よろしくお願いします。
自分のために頑張ります。