護憲派とは何か-反戦平和の思想を考える
・2010年ネット上に公開した文章の転載
護憲派とは、憲法前文と9条に表明されている反戦平和主義の思想を肯定的に評価している人たちのことだろう。
が、反戦平和の思想をどのように考えるのかについては必ずしも意見の一致をみていないだろう。
他国から武力攻撃をうけた際、これに対して戦うことすらも否定するのが真の「護憲派(反戦平和主義者)」だというのであれば、私は護憲派ではない。(自衛のための戦争すら否定する考えは「絶対平和主義」といわれているのだろうが。)
だが、不当な戦争、不正な戦争は行わないという考え、あるいは他国から武力攻撃をうけた際に、これに対して戦うような「やむをえぬ戦争」以外は行わないという考えが反戦平和の思想であり、これを支持する人が護憲派だというのであれば、私は護憲派であろう。
(ただし、何が「不当な戦争、不正な戦争」なのか、何が「やむをえぬ戦争」なのかについては絶対的な基準というものはなく、人によって判断、解釈がちがうという問題はあるが。)
「絶対平和主義」以外の反戦平和の思想には、「やむをえぬ戦争」以外は禁止すべきという考え方と、「絶対やってはいけない戦争」のみを禁止すべきという2つの考え方がある。
(「やむをえぬ戦争」と「絶対やってはいけない戦争」との間には、そのどちらともいえないグレーゾーン、あるいは中間的な戦争も想定されるが。)
前者の場合、「やむをえぬ戦争」の範囲を際限なく拡大していけば、ほとんどの戦争が正当化されてしまうだろう。
後者の場合も、「絶対やってはいけない戦争」の範囲を狭めていけば大部分の戦争が可能となってしまうし、そもそもこの立場は「絶対やってはいけない戦争」以外は肯定しているのだから、こういった考えを反戦平和の思想とすること自体に無理があるのかもしれない。
反戦平和主義を純粋に思想的に追及していけば、結局は「絶対平和主義」の立場に行き着かざるをえないだろう。
だが、他国から武力攻撃をうけた際に抵抗すらしないというのは(非暴力的な抵抗運動をすればいいと主張するのかもしれないが)、多くの人の生命が失われるのをそのまま見過ごすことにもなる。
人の生命よりも反戦平和の思想、理念の方が大事だという倒錯した状況に陥ってしまうことになる。
この問題は、反戦平和の考えを放棄するのでも、思想、理念として純粋に追及するのでもなく、「やむをえぬ戦争」、「絶対やってはいけない戦争」がどのようなものかを具体的に明らかにし、不当な戦争、不正な戦争はしないという現実的な態度をとることが、最も賢明な選択であろう。
○「やむをえぬ戦争」と「絶対やってはいけない戦争」
「やむをえぬ戦争」が、他国から武力攻撃をうけた際、これに対して戦う戦争であるという考えには多くの人が同意するであろう。
現実問題としても「個別的自衛権」の行使という形で、この戦争を行うことは憲法上問題ないとされている。
一方、「絶対やってはいけない戦争」が、正当な理由なく他国を武力攻撃することであることにも多くの人が同意するであろう。
(正当な理由があれば武力攻撃してもいいのか、正当な理由とはどのようなものかといった疑問はおこると思うが。)
多くの人が同意できる常識的な反戦平和の考え方とは、「他国から武力攻撃された時以外には戦争をしないこと」、「正当な理由なく他国を武力攻撃しないこと」の2つであろう。
だが、現在政治問題として想定されているのは、このどちらでもない戦争に日本がどう対応するのかという問題であろう。
1つは「集団的自衛権」の問題であり、アメリカの行う戦争に「集団的自衛権」を行使して参加するのかという問題。
もう1つは海外でおきた紛争に、「集団的安全保障」に参加するという形で介入するのかという問題。
「やむをえぬ戦争」以外はやってはいけないという立場にたてば、これらの戦争には介入すべきでないということになる。
一方、「絶対やってはいけない戦争」以外はやってもいいという立場にたてば、これらの戦争に参加してもいい(あるいは参加すべき)ということになる。
護憲派といわれている人たちは前者が多く、改憲派といわれている人たちは後者がほとんどだろう。
こういった現実的な問題については、憲法問題を曖昧にしたまま、アメリカに要求されてから泥縄式に対応を決めるやり方の弊害がでてきているといえるだろう。
集団的自衛権の行使に関しては、アメリカが不当な武力攻撃をうけた際にアメリカを支援することは道義的に正当な行為だろう。
だが、アメリカが正当性のない軍事行動をとった時に、集団的自衛権を行使するという名目でこれを支援するということが現実にはおこるだろう。
集団的自衛権の概念を恣意的に解釈して正当性のない戦争を行う危険が懸念される。
集団的安全保障の問題に関しては、かつてのような海外の紛争には介入しない方針に戻るのか、現在のように武力行使を伴わない形でこれに介入するという方針を続けるのか、それとも武力行使を伴う形で介入する立場に方針転換するのか、基本的な方針を明確にする必要があるだろう。
そして海外の紛争に介入するのなら、どのようなケースの時に介入すべきなのか、こちらも基準を明確にする必要があるだろう。
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