選択的夫婦別姓制度に関して

  (2010年5月14日ブログに公開)

 選択的夫婦別姓制度については、特にこれといった意見をもっているわけではない。はっきりいってしまえばどちらでもいい。ただ、結婚後も生まれたときから名乗っていた姓を戸籍上の姓としたいと考えている人たちの気持ちは理解できるので、選択的夫婦別姓制度の導入によって、そう考える人(主に女性だけど)の願望がみたせるのならそれでいいんじゃないとは思う。

だが、思想的・理論的に深く掘り下げたうえで導入しないと成功しない可能性もある。

 選択的夫婦別姓制度を導入しても、これを選択する夫婦はごく少数だろう。その場合、両親の姓がちがうことが子供の成長に悪い影響をもたらさないか、子供が学校でいじめられないかといったことが懸念されよう。

 ただ、こうした問題は子供のいない夫婦にはあてはまらないし、また教育によって解決できる問題でもあるので、根本的な問題点ではない。

この制度の問題点は、多くの人が夫婦別姓を選択したときにあらわれるだろう。二世代、三世代で同居した場合、1つの家の中に3つ以上の姓の人間が同居することになるから、何のために姓という制度があるのか疑問が生じることになるだろう。姓の存在意義について、明確な思想的・理論的裏付けを考えておかないと制度が機能不全に陥るかもしれない。

 夫婦別姓制度に関しては、宮崎哲弥が『正義の見方』(新潮OH文庫版)の中で主張していた、夫婦別姓制度を導入するならそれと同時に改姓の自由(自分の好きな姓に変更する自由)も認めるべきだといった意見が面白かったし、こちらの方が理論的に整合性があるように思う。

 選択的夫婦別姓制度に対しては根強い反対があるから、仮に実施されても数年後には揺り戻しがおこる可能性もある。政権交代がおきたら改正されるかもしれない。(その場合、既に別姓を選択している夫婦の取り扱いが問題になるけれども。)

定着して多くの人が満足している制度を改正するのは困難ではある。

 テレビでの、この問題をめぐる討論をみていて不快に感じるのは、保守・右派と呼ばれる人が馬鹿の一つ覚えのように唱える「文化・伝統を尊重しろ」という主張である(保守の一つ覚え?)。そんなに文化や伝統を尊重したいのなら、江戸時代までのように身分制を復活して、特権階級のみが姓をもつ制度に復帰すべきだろう。現在の姓の制度は、明治以降成立したたかだか百数十年の歴史をもつものにすぎないし、そもそも現在の多くの制度は、それまで何百年以上も続いた文化や伝統をぶち壊して成立したものだろう。

 文化や伝統については、それを変えずに守った方がいいのか、変えた上で継続した方がいいのか、廃止した方がいいのか、1つ1つ検討する必要があろう。ただ、続いてきたのだから守れというのは何も言っていないのと同様である。

 選択的夫婦別姓制度に反対する人は、家族は同じ姓をもつべきと主張する。この制度を制定しようとする女性の多くは、結婚後女性が男性側の姓を名乗る慣習に異議を唱える。結婚後、男性が女性側の姓を名乗ることを法律で強制すれば、両者の願望はみたされる。結婚後、姓を変えたくない男性の希望は無視されるが、今まで長い間女性側が我慢をしてきたのだから、今度は男性側が同じ思いをすればいい、という考えもあるかもしれない。

 まあ、私自身は、どちらかの姓に統一する夫婦、別姓を選択する夫婦、改姓・創姓を選ぶ夫婦、本人が望む生き方を選択すればそれでいいと考えている。

(その場合、姓を放棄して名前だけで生活するのもありなんだろうか。)

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