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裸で泳ぐ(著 伊藤詩織)を読んだら、自分の呼吸に耳を傾けたくなった。
著者の呼吸を耳元で聞いているかのような本だった。その時、一緒に居たかのように、息を潜めた。深く呼吸をした。息を止めて、心拍数が上がった。同じ女性として、私は同じ立場になったとき、同じ行動が取れただろうか。
ホームって何だと思う?
わたしは新潟で生まれ、選択を重ねて、東京という土地に流れついたような感覚であり、ここがホームだという感覚は未だない。そもそもホームとは、土地なのだろうか、それとも人にあるのか。いつか「ここが私のホームだ」と思える場所や人ができるのだろうか?いや、ただ気が付いていないだけで、既にあるかもしれないけど。
「家族は一緒に生きてきたいちばん近い社会だ。」という言葉が頭から離れない。
ふわふわと、ずっしりとした何か
わたしは、姉や兄がいて、甥っ子がいて、幸いにも両親がいる。両親とは1ヶ月に数回会うくらいには仲がいい。(ただ数日も一緒にいると喧嘩することが多いので、長くても2日。)
こんな感じで昔から、家族とも友達とも一定の距離を保つ癖があり、踏み込みすぎない、踏み込まれすぎない、お互い「好き」で「大切」だという距離を保とうとしてしまう。
だからこそ、この本を読んで深い友人関係を羨ましく思ってしまった。私の中のふわふわと、ずっしりとした何かを見せられる人が欲しい、というより、わたし自身が見せれる人間になれるのか。
人生の選択と自分の声
この本を読みながら、わたしの人生の選択について思い返した。人生の結構重要な場面で、住む土地を変える習性があることに気がついた。迷ったとき、環境を変える。そんな私が東京に流れついて5年。そろそろ別の場所へ流れていきたい。
ここ最近、自分の声に耳を塞ぎ、誰がどう望んでいるのか、どうして欲しいのか考えて行動する癖がついたように思う。自分の気持ちを、自分の声はなんと言っているのだろう。最近、空気が薄く感じる。
今の自分に対して、沢山の問いを与えてくれた本書に感謝。自分の心と身体の声に耳を傾けていきます。