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一緒に死にたいほど好きな人、そんな人いる?その昔一緒に死ぬほど好きな人がいた日本人女性がいた

この夏はねぶた祭りを見るために青森に行ってきました。ねぶた祭りを見るのは二回目。今回はそのねぶた祭りの話ではなく、ついでに寄った津軽鉄道の金木駅にある太宰治の家「斜陽館」を見てから、とても太宰治に興味を持ったので太宰のお話です。

太宰治といえば「走れメロス」「人間失格」しか知らず、走れメロスはまぁわかりやすいお話で人間失格は読んではいなかった。読もうとは思ったが読み進める気にはなれなかった作品だ。

斜陽館にある太宰治の資料館で私は思った。

「なんで太宰治は一人で死ななかったのだろう?」と

人は一人で生まれてきて、そして一人で死んでいく。
死ぬのぐらい一人でいいんじゃないか?いや一人がいいだろう。誰かと一緒だったらその誰かが気になる。苦しくはないか?大丈夫か?死ぬ間際にはそんな雑念はいらない。死ぬ時ぐらい自分に集中したい。そんな風に思った。

そうしたら俄然太宰治に興味を持った。そして私のパートナーと同じ津軽地方の人間ということも知りたいと思った要素になった。私は未だに自分のパートナーがよくわからない時がある。

特にここ最近では、日本に遊びに来た子供の台湾に帰っていく飛行機が遅れて台湾到着が夜中になりそうだという時があった。私は新幹線もなくなるし、そんな遅くにホテルをチェックインもできないだろうし心配になった。
でも心配するのは当たり前でしょう?別に子供だからではなくそれが大人の人だって無事に家にたどり着くまでは心配になる。それが人の気持ちというものでしょう。
それなのに「なんで心配なの?」「飛行機でも落ちると思ってるの?」「あんたが心配したところで空港に朝までいるしかないでしょ?」「空港で犯されるとでも思ってるの?」こんな風に怒ってくる。

なんで自分の子供の無事に家路につけるかどうかを心配してはいけないのか?そんなに心が狭いのか?なんで怒られるのか意味が分からない。
挙句の果てには携帯を隠されてしまった。

しかし次の日に自分で白状したが、要は自分のことはそんな風に心配されたことがないというやきもち?のようだった。
ん・・・。よくわからない。

当時の津軽地方の人ってどんな人なんだろうと単純に興味を持った。

興味を持って太宰治の人生を調べていくうちに・・・なんというべきか・・・先ず初めに今ではありえない盗作や4人(それ以上?)の女性との関係や、その破天荒な生き方に驚いたが、今は太宰の「優しさ」を感じている。

太宰の作品の中の「女生徒」は太宰のフアンの有明淑の日記をほぼ引き写している作品ということ。そして金木にある素晴らしい家「斜陽館」の名前にも使われている「斜陽」も愛人であり、太宰の子までなした太田静子の書いた「斜陽日記」を元に書かれたものだということ。
はたまた「生まて すみません」というインパクトのある言葉も、寺内寿太郎の作った言葉らしい。

これって「ジャイアン?」(人の物は俺のもの。自分の物も俺のもの)
そういう考えが津軽人?そういう認識で合ってる?

しかし一方ではこんな考え方もできる。太宰が使わなかったら、ある意味有明淑が書いた日記や太田静子が書いた斜陽日記は世に出てはいなかったかもしれない。太宰が使ったからこそ日の目を見ることができたのではなかろうか?と・・・

「女生徒」の中で女性についてこんな内容に記されているところがある。

「女になる」 とは 「お化粧をする」
ということであり、「美しくなりたい」と思うことである。
「お化粧をする」ということは自分以外の者になろうとすることである。

つまり女性は「ありのままの自分」をさらけ出すことが社会で許されていない、生まれたままでは「女ではない」だから「女になれ」と言われる存在なんだ。なぜ言われてしまうのか?それは「誰かの妻になるため」「結婚する」ために女になることを受け入れなさいと社会に要求されるそんな存在なんだということ。

もちろんこれは女性が感じた社会からの要請だけど、それを男性である太宰が教えてくれているとも感じる。

自分を殺すことは良いことには違いないけれど、これから先毎日がこの連続であるのならば気が狂いそうだ。

結婚は自分を殺すことだと教えてくれている。

今ふと思ったんだけど、女性にとって女になるよりも母になるほうが簡単なんだろうな。母になるのなら自分を殺す必要はないし、何なら自分を主張することも出来るし。もちろん手と目をかけなければならない時期もあるが、夫に合わせて自分を殺すことはない。

結婚と書いて思い出したが、23になる娘が最近の若い女の子の結婚に対する考えを教えてくれた。娘のある二人のお友達が二人とも同じ考えだったんだけどどう思う?というのだ。そのお友達たちは「今は彼に何も言わないんだ。もちろん彼氏の機嫌が悪くなったら暴言を吐かれたり色々あるが今は我慢する。そして結婚したら結婚という法で相手を縛れるから、そうしたら時分の欲求を言っていく」らしい。

今の若い女の子の考えって私には理解出来ないな・・・。毎日の生活が喧嘩してばかりでもいいのかなぁと思ってしまった。

話が脱線したが、恐らく太宰は女にモテたんだろう。女性の内面を理解できる男なんて今の時代でもなかなか探すことは難しいのに、あの終戦直後の時代にあれだけ女性の内面を理解してくれるなんて。

太宰は女性にモテたんだろうねという話をパートナーにしたら「そうだね。金持ちで作家だったらモテたんだろうね。モテるということはスケベだということだ」と言っていた。

スケベはモテるんだ。そうなんだ。男性は顔ではなくお金があってスケベだったらもてるらしい。世の中はそんな常識だったんだな。知らないことはまだまだたくさんあるな。

結局太宰治は未亡人になってしまった山崎富栄というきれいな女性と心中する。

太宰が好きで独り占めしたくて、だからこそ美容師という仕事もやめ、自分のお金も太宰に使い果たし、何もかも太宰に捧げ一緒に死んでくださいと心中した富栄。

映画「人間失格」の中では死にたくなかった太宰がいた。
でも一緒に死んでやってもいいよという太宰がいた。

太宰の子供を産んだわけでもない(奥さんの美知子は太宰との間に3人の子供、愛人の静子にも一人子供がいる)、作品の手助けになるような日記を書けるわけでもないそんな富栄に優しくする太宰。女性の内面を理解する男性。

太宰は女性だけでなく、人間の内面も理解したからこそ、人気作家になったんだろう、そう思った。

弘前美術館で展示されていた「人間失格 太宰治と三人の女たち」の監督蜷川実花の作品




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