少子化の行きつく先は『女の無価値』ではなかろうか・・・?
どうしてこんな風に考え出したかというと
平安時代の男たちにとって〈男であること〉にあまり意味がなかった
という一文を目にしたからです。
平安時代は雅で美しい時代。男も女も美しく、和歌を交わしあい、琴や琵琶の風流な音色、十二単や直衣に香を焚きしめとてもいい香りを身に着ける。
こんな時代では男は特に何もすることがない。領地を争うわけでもなく、お金を生み出すような経済社会はない。
だからこそ平安時代の男は無価値であった。
しかしその平安時代の次ぎに来るのは「武士の時代」の鎌倉時代。男であることが価値ある時代に突入する。
翻って、現代を見てみると、どう考えても女性に価値が無くなってきていると感じる。女性は男女平等の世界を望んだ。その結果、社会では女も労働力とみなされ、家庭では出産子育てに忙しい。男女平等がよかったのか悪かったのかよくわからないが、結果は社会はいまだ男性優位社会のままで、女性は安く使われる労働力となった。
仕事をしていたら子どもなんか産めない。そもそも子供は一人では産めないし、男女平等化された会社で男女はお互いに競争相手となり、出来るだけ自分に迷惑が掛からないように距離をとる。そんなところでは恋愛は生まれない。
少子化は女性が労働した結果だ。これは女性だって社会に出たい、男性と同じように活躍したいと思った結果だけど、居座る男性を社会を構成する人員は守る。なんせ社会の構成人員はほぼ男性だ。明日は我が身。わが身の居場所は守らなくては自分が路頭に迷うことになるから男性も必死だ。
家庭人にならなければ出産、子育ては難しい。仕事と育児の両立は女性の負担を増すだけではないだろうか・・・。子育てにはお金がかかる。だから私が働いて少しでも稼がないとと女性は必死だ。
そういう私もそうだった。今思えばあんな忙しい時期にやる必要があったのかわからない仕事を一生懸命にやっていた。
やらないとお金にならないから。
そうやって少子化の時代が到来してきたのだろう。
しかし、この『男性が出来ない唯一の出産】という出来事を女性がしなくなってから、女性の価値がどうやら低くなってきているのではないだろうか。
だからこそ『いやいや、まだまだ女性にも魅力があります。」とAV女優になる女性は増え、男性相手の仕事につく女性が増えているのでは?
しかし供給過多になればなるほど、価値はなくなり、お金は安くたたかれる。
女の身体でもお金にならないということが社会に浸透し、その価値観が家庭にも影響されているのではなかろうか・・・。
さて、今後のお話。少子化が進んで女性の価値が無くなった結果、平安時代の次ぎに鎌倉時代が来て男性優位の社会が来たように、女性優位の社会が到来するだろうか?
私は来ないと思っている。きっと出産は女性はしなくなる。
その代わりに、人工出産、AIによる子育てと出産、子育てが国に管理される世の中になってしまうのではなかろうか・・・。
それにはもう少し時間がかかると思われるが、それにしても「出産・子育て」を人がしない世の中はどういう男女関係になり、どんな生き方になるのであろうか。