びーん
鉄の柵を金属バットとかで強く叩くと力が戻ってきて手がビリビリする時がある。表現するな
らビーンって感覚。あれで生きているなと実感する時がある。
それと同時に“バーン”とか“ガーン”とか“ギーン”と音が響く。それに気づいて皆が振り返る。音のスポットライトである。このスポットライトには当たりたくはない。何故ならスポットライトに当たりたいわけではなく、手のビーンを感じたいだけだからだ。手のビーンを感じられるのであればそれだけでいい。今のところこの手のビーンを感じるだけの技術は開発されてはいない。もし、この手のビーンのサブスクがあったらもちろん入るだろう。人気のない時間に金属バット持って柵を叩きにいくこの労力と手間を考えたら有料にしてもいいと思うし、むしろ払いたいレベルだ。
人気のない時間帯に外に金属バットを持って歩いて柵まで辿り着くのが一苦労だ。まず必ず職質されるし、職質された時の理由がアウトだからだ。「柵を叩きたかった」なんて言ったら【暴力】を匂わせる。叩くという“打撃”がアウトなのだ。でもそれ以外で生を感じられない。どうすればいい?どうすれば手をビーンと誰にも迷惑かけずできるどうすれば。
もはや私はこの手の痺れの中毒になっていたのだ。依存だ。これを抜け出すにはどうすれば。そして、私と同じ依存の方はいるだろうか。この依存から抜け出すために私は山籠りを始めた。滝に打たれ心頭滅却。森の中で自然と同化する。そんなことを1年続けたある日。髭の長いいかにもという仙人がやってきた。
「手がビーンとなる方法を教えよう」
と言ってきた。自然の中にいて忘れていたが手がビーンとなる感触が突然蘇った。これだ!私はこれを求めていたと思い、すぐさま懇願した。
修行して、5年が経った。
今では手に自由にビーンという感覚が流せる。
山の頂上の岩場に小さな石をたくさん積み上げた上に足の親指だけで全体重支えて立ちながら手にビーンという感覚を流していた。
ふと、頬に涙が流れた。あれ?泣いてる。何故だ。私はどうなりたかったのだろう。こんな仙人になりたかったのだろうか。いや、違う。私は私は。
「親の脛をかじって生きていきたかった。だらだらと自分の部屋から出たくなかった」
と涙を流しながら積み上げた石の上で発した。
「でもまぁこれでよかったんです」
と久しぶりに誘われた合コンで自己紹介した。仙人の装いの私は目立った。こんな変わった自己紹介を聞いて女の子が一人口を開いた。
「でも、仙人って結局ニートですよね」
かいしんのいちげき ってこれだ。
図星 とはこれのことだ。
と思った。鳩尾に優しくスッと入った。膝から崩れ落ちた。私は合コンで自己紹介したあと膝から崩れ落ちた。崩れ落ちたんだ。