【バルビーノ・ガルベス】メジャーで夢半ばだったドミニカンはアジアにチャンスを求めてテストを受けるとその潜在能力に惚れこんだミスターのもとで躍動 巨人史上最高助っ人投手の呼び声高きトラブルメーカー
割引あり
おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。
今回はバルビーノ・ガルベスを
取り上げていきます。
https://www.youtube.com/watch?v=gpP1hUK-4gk
1964年、ドミニカ共和国に生まれた
ガルベスは17歳の時に
アマチュアFAでロサンゼルス・ドジャースに
入団すると、マイナーで順調にキャリアを
重ねた1986年、メジャー昇格を果たしました。
10試合にリリーフ登板したものの、
目立った成績は残せず、チームを転々としながら
2Aと3Aを往復するエレベーター生活に加えて
メキシカンリーグにも在籍した右腕は
1994年、アジアにチャンスを求めたのです。
台湾のプロ野球チーム、
兄弟エレファンツと契約すると
1年目から16勝、防御率2.55という申し分のない
成績をあげてチームの優勝に貢献、
翌年も2年連続二桁勝利となる10勝を
記録しましたが、素行不良により、
シーズン途中で解雇された事から来日を決意しました。
1996年、32歳間近のドミニカンは巨人の春季キャンプに
押しかけるようにやってきてトライアウトを受けると
150キロ近い速球に、高速シンカーとチェンジアップ、
そして内角を鋭くえぐる重いシュートを披露、
見守っていた首脳陣は息をのみ
「こいつは何者だ?凄い奴が現れたぞ」と
ミスターが一目惚れして契約を決断した事から
身長180センチ、体重107キロの助っ人は
海を渡って来たのです。
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