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【アーロン・ガイエル】カナダ生まれの左打ちの大砲は野球を諦めかけたものの日本野球に興味を持ち来日 真面目な性格と練習熱心な姿勢でレギュラーを奪取すると空間を歪める不思議な能力で魔将と呼ばれた助っ人

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回は、アーロン・ガイエルを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=5ahzmwpbqQE

1972年、カナダはバンクーバーに生まれた
本名アーロン・コリン・ガイエルは
13歳の時に祖父からゴルフクラブや
ホッケースティックと一緒に
キャッチャーミットをプレゼントされた事から
捕手として野球を始めました。

並行して楽しんでいたアイスホッケーの
スティックを
野球の左打ちの持ち方で握っていたため
左打者になると
ウッドランズ高校時代はクラブチームに
所属して野球を続けていましたが
卒業後は不動産メンテナンスの会社に就職します。

しかし1年後、カナダ選抜チームに選出された事から
野球を再開したガイエルは
奨学金をもらってクワントレン大学に進学、
身体能力の高さを買われて外野手に転向すると
1992年 、MLBドラフト21巡目で
カリフォルニア・エンゼルスから指名を受けました。

サンディエゴ・パドレスや
オークランド・アスレチックスなど
マイナーリーグを転々していた2000年、
芽が出ないまま
メキシコのオアハカ・ウォーリアーズに所属していた
ガイエルは
「もうカナダに帰ろうと思った」と言うほど
野球を諦めかけていましたが
カンザスシティ・ロイヤルズに移籍すると
3Aで結果を出し始め、2002年6月22日、
念願のメジャーデビューを飾ったのです。

翌年はレギュラーとして99試合に出場、
打率2割7分7厘、15本塁打、52打点の成績を残すと
2004年、シカゴ・ホワイトソックス戦でのちに
同僚となる高津投手と対戦するなど
一定の成績は残したものの、
再び3Aに戻った左打ちの外野手は
ジョージ・アリアスと出会い
日本野球に興味を持ちました。

2006年のシーズン開幕前、
WBCカナダ代表に選出されたのち、7月に
ニューヨーク・ヤンキースに移籍すると
ケガで戦列を離脱していた
松井秀喜の代わりとして44試合に出場、
打率2割5分6厘、4本塁打、
11打点の成績を残しましたが
シーズン終了と同時に解雇された事から
タンパベイ・デビルレイズに
移籍した岩村の穴を埋めるべく
強打者を探していた東京ヤクルトスワローズが
目をつけます。

松井のひたむきな練習姿勢に感銘を受け、
イチローの活躍を目のあたりにし
アリアスからNPBの話を聞いていた
大砲は日本行きを決意、
アレックス・ラミレス、アダム・リグスに次ぐ
第3の外国人野手として
身長178センチ、体重91キロの助っ人は
海を渡って来たのでした。

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