【ジェフ・ウィリアムス】サイドスローに転向した左腕は運命に導かれるように来日すると猛虎最強のセットアッパーとして君臨 MLBの誘いも断り大阪に残った熱きオージー
おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。
今回は、ジェフ・ウィリアムスを
取り上げていきます。
https://www.youtube.com/watch?v=ZQlPrTUWjDU
1972年、オーストラリアはキャンベラに生まれた
本名ジェフリー・フランシス・ウィリアムスは
9歳の頃に投手がいない野球に似たスポーツ、
ティーボールに触れると11歳で本格的に
野球を始めました。
ベルコネン高校在学中にキャンベラの
クラブチームでピッチャーとして活躍すると
優秀な左投手がいるとの評判を聞きつけた
MLB関係者から
アメリカ留学を薦められましたが
地元の大学に進学する道を選びます。
ほどなくしてアメリカの
サウスイースタンルイジアナ大学に編入すると
心理学を専攻していた4年時に
全米大学リーグのナショナルチームに
選出されたほか
1996年のアトランタオリンピックでは
オーストラリア代表として日本戦に登板、
勝利投手になる活躍を見せました。
同年、ドラフト外で
ロサンゼルス・ドジャースに入団した
ウィリアムスは1999年9月12日、
ボビー・バレンタイン監督率いる
ニューヨーク・メッツ戦の5番手として
マウンドに上がると
ベニー・アグバヤニをサードゴロに仕留め
オーストラリア人9人目の
メジャーリーガーとなったのです。
しかしその後、伸び悩んでいた左腕は
2001年のシーズン終盤、ジム・コルボーンコーチから
サイドスロー転向を勧められると
思いがけない運命が動き出しました。
ヤクルトスワローズから移籍してきた石井一久と
チームメイトになった2002年、
ドジャース傘下の3Aラスベガスで
リーグ最多の28セーブを記録したウィリアムスに
阪神タイガースが声をかけると
「あまり登板機会を貰えていなかったから
トレードでも何でも良かったんだ。
自分を必要としてくれるチームに行きたかった」と
12月に結婚したばかりの新婚さんは日本行きを決断、
身長183センチ、体重88キロの助っ人は
海を渡って来たのです。
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