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【タフィ・ローズ】三拍子そろったオールマイティな才能からMLBでは先頭打者を要求されるも長距離砲として生きたいと来日 3球団に渡って球史に残る全ての最強打線の中核にその名を連ねたキングタフィー

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はタフィ・ローズを取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=3wf-_Kphql4

1968年、アメリカ合衆国オハイオ州に生まれた
本名カール・デリック・ローズは
ソフトボールをしていた母親の影響から
6歳の時にリトルリーグで野球を始めると
顔にデッドボールを受けて鼻血を出した
翌日も試合に出場、その姿を見たコーチから
「タフなやつだ」と言われた事から
タフィの愛称がつきます。

MLB史上最も美しいバッティングフォームと
称され、最高の得票率で野球殿堂入りを果たした
ケン・グリフィー・ジュニアとは
母親同士が古くからの友人という縁もあり
幼馴染としていつも一緒に遊んでいました。

ウエスタンヒルズ高等学校を卒業した1986年、
ヒューストン・アストロズから
MLBドラフト3巡目で指名され入団すると
俊足巧打の外野手として1A時代には
年間65盗塁を記録、
1990年にメジャー初昇格を果たします。

プライベートでも1992年、
キャビンアテンダントのソンジャ夫人と
7000人の観客で埋まったスタジアムで
挙式をあげて、より一層の活躍を誓うと
シカゴ・カブスに移籍して迎えた
1994年の開幕戦でその名を全米に
知らしめるプレー見せました。

ニューヨーク・メッツ戦の1番センターで
スタメンに名を連ねたローズは
サイ・ヤング賞を獲得したメッツのエース、
ドワイド・グッデンに対して
第1打席から3打席連続本塁打を放つ
開幕3連発のメジャー記録を打ち立てたのです。

リグレー・フィールドに集まった
熱狂的な地元ファンはハットトリックを祝って
スタンドから帽子(ハット)を投げ込み、
試合が10分間中断したほどのお祭り騒ぎになると
敵将メッツのダラス監督は
「我々は彼をレジェンドにしてしまったね」と
嘆きました。

ド派手な花火を打ち上げたローズでしたが
首脳陣はあくまで俊足の先頭打者としての
プレーを望んだ事で、長距離砲として
生きたい27才の若者と折り合う事は無く、
ボストンに移籍した1995年シーズンを最後に
FAとなったのです。

「故郷に戻って消防士にでもなろうかな」と
思っていた矢先、その才能に目をつけた
近鉄バファローズから声をかけられると
一念発起、日本でもう1度ホームランバッターを
目指してみようと身長182センチ、体重87キロの助っ人は
海を渡ってきたのでした。

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