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【クレイグ・ブラゼル】マイナーチームを転々としていた左の大砲は来日するも西武を1年で解雇され野球を諦めかけていた所から急浮上して阪神で本塁打王を争うまでになった助っ人

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回は、クレイグ・ブラゼルを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=zsHHmRbDilk

1980年、アメリカ合衆国アラバマ州に
生まれたブラゼルは
ジェファーソン・デービス高校在学中に
130本のホームランを打ったほど
飛距離の出るバッターとして活躍していました。

類稀なる身体能力でアメリカンフットボールの
クォーターバックとしても能力を
発揮していましたが試合中にタックルを受けて
膝を故障した事から野球に専念すると
1998年、MLBドラフト5巡目で
ニューヨーク・メッツから指名を受けたのです。

ルーキーリーグで打率2割9分8厘、6打点という
成績を記録したほか、守備の方では
ファーストだけでなくキャッチャーとしても
出場するなど
器用さも垣間見せると
翌年には打率3割8分5厘をマークしました。

2000年、1Aキャピタルシティ・ボンバーズで
自身初となる100試合以上に出場し
紆余曲折ありながらもアドバンスドA、2A、3Aと
順調にステップアップしていった
2004年の8月17日、
松井稼頭央の故障者リスト入りに伴い、
ついにメジャーデビューを果たしたのです。

この年はメッツで24試合に出場して
打率2割6分5厘、1本塁打、3打点という
成績のほか、マイナーリーグでも123試合に出場、
20本以上の本塁打を放ちましたが
その後は結果を残せず、
ロサンゼルス・ドジャースや
カンザスシティ・ロイヤルズなど
マイナーチームを転々としていました。

2007年、3Aで打率3割7厘、32本塁打を
記録して本塁打王に輝いた事から
3年ぶりにメジャー昇格を果たした頃、
オリックス・バファローズに移籍した
アレックス・カブレラの穴を埋めるべく
大砲を探していた埼玉西武ライオンズから
声がかかったのです。

MLBの実績はほとんどありませんでしたが
西武の球団社長は大いに期待し、
同じく助っ人のヒラム・ボカチカ、
マシュー・キニーの名前を織り交ぜながら
「ボカチカにぼかすか打って貰って
チャンスはブラゼルに頑張ってくれイグとお願いし
最後は白星をおおキニーでいきましょう」と
ダジャレも飛び出すと、年俸1億円で契約した
身長190センチ、体重95キロの助っ人は
海を渡ってきたのでした。

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