【フェリックス・ミヤーン】俊敏な動きからキャットと呼ばれた守備の名手は10年以上MLBでレギュラーとして君臨 バリバリのメジャーリーガーとして横浜に上陸すると最高齢で首位打者を獲得した巧打堅守の助っ人
おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。
今回は、フェリックス・ミヤーンを
取り上げていきます。
https://www.youtube.com/watch?v=GMRjde24bnE
1943年、プエルトリコに生まれた
本名
フェリックス・ベルナルド・ミヤーン・マルティネスは
ユブコア高等学校を経た1964年、
アトランタ・ブレーブスに入団すると2年後に
メジャーデビューを飾りました。
高い巧打力と守備力を有した二塁手として
1969年にMLBゴールドクラブ賞を受賞すると
翌年は183安打と攻守で活躍、
1973年には移籍したニューヨーク・メッツで
ワールドシリーズに出場したのです。
さらに翌シーズンはナショナル・リーグの
最多犠打王に輝くなど
小技もいけるメジャーリーガーは
1977年、メッツの中心選手として君臨していましたが
ある日の試合中、二塁ベース上のクロスプレーで
走者と接触し右鎖骨を骨折した事から
打率2割4分8厘と低迷、高年俸と35歳という
年齢もネックとなり
来季の契約がまとまらずにいました。
時を同じくして前年まで二塁手として活躍し
金銭トレードで巨人に移籍した
ジョン・シピンに代わる
外国人を探していた大洋ホエールズは
元助っ人クリート・ボイヤーから
ミヤーンを紹介されると
所属先のニューヨーク・メッツに譲渡を
持ち掛けたのです。
メジャー実働12年間で9年連続シーズン100安打以上に
オールスター出場3度、ゴールドグラブ賞2回の
バリバリの内野手ではあったものの
高齢と怪我持ちを懸念して
処遇に困っていたメッツはあっさり了承、
初年度から活躍できなければ
トレードマネーも返金するという好条件で
譲り受けると
身長180センチ、体重78キロの助っ人は
海を渡って来たのでした。
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