見出し画像

ビリー・ワグナーという男

割引あり

今日、取り上げるのは、
過酷な環境を言い訳にせず、メジャー屈指の
クローザーにまで成り上がった左の剛腕
ビリー・ワグナーです

1971年、アメリカ合衆国ヴァージニア州に生まれた
ビリー・ワグナーは、5歳の頃に両親が離婚し、一時は
親戚中をたらい回しにされるという悲惨な境遇の中で
育ちましたが、新しい父親と再婚した母にひきとられた後も
貧しい生活は変わりませんでした。

次第に再婚相手が母に暴力を振るうようになり
10歳になっていたワグナーは身を挺して母親を守ろうと
抵抗したところ、怒りに任せた父親はフォークで
ワグナーの右腕を刺したのです。

右腕の神経と腱がズタズタに引き裂かれ、
全治5ヶ月の重症をおったワグナーは
懸命のリハビリで日常生活に支障をきたさないまでに
回復しましたが、スポーツで右腕を使う事は
出来なくなりました。

それでもアメリカンフットボールと野球が
大好きだった少年は諦めずに左で投げる事を
決意すると、高校まで160センチしかなかった身長も
大学時代には178センチまで成長、
球速もアップした事でプロ注目の投手となった1993年、
MLBドラフト1巡目でヒューストン・アストロズから
指名を受けたのです。

順調に階段を登っていった1995年9月13日、
ついにメジャーデビューを果たしますが
今度はその直後に妻の両親が射殺されるという
悲劇に見舞われました。

気を取り直して迎えた翌1996年はリリーフとして
37試合に登板すると防御率2.44、奪三振率11.67を
記録、1997年は23セーブに106奪三振と
シーズン奪三振率14.4となり、これは50回以上投げた
投手の大リーグ記録となったのです。

その後も史上最速となる341イニングでの通算500奪三振に
通算200セーブなど次々と金字塔を打ち立ててきた
クローザーは、2003年6月11日のヤンキース戦で
6人の投手による継投ノーヒットノーランを達成、
最後の打者は日本が世界に誇る大砲、松井秀喜でした。

結局この年は、球団新記録となる
44セーブと大車輪の活躍を見せましたが
アストロズは年俸総額抑制のために
主力選手を放出せざる得ない状況となり、2003年11月3日、
フィラデルフィア・フィリーズへトレードとなります。

移籍1年目から防御率1.69に25セーブ、
2005年は38セーブと期待通りの活躍をみせた
クローザーに、今度はニューヨークメッツから
4年4300万ドルの長期契約のオファーが届いて移籍すると
2006年の地区優勝に貢献しました。

ここから先は

937字

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!