【リック・ショート】MLBでホームランバッター全盛期に突入していた頃 日本にやって来た助っ人は東北の地で才能を開花させると球団初の首位打者に輝いた助っ人
おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。
今回は、リック・ショートを
取り上げていきます。
https://www.youtube.com/watch?v=qWsLpXXMwgY
1972年、アメリカ合衆国イリノイ州に
生まれた本名リチャード・ライアン・ショートは
西イリノイ大学を卒業した1994年、
MLBドラフト33巡目で
ボルチモア・オリオールズから指名を受けて
入団すると、
2000年に3Aロチェスター・レッドウイングスで
打率3割3分1厘を記録したほか
2002年にはアナハイム・エンゼルス傘下の
3Aソルトレイク・スティンガーズで
打率3割5分6厘の成績を残しました。
しかし数年前にマーク・マグワイアと
サミー・ソーサの本塁打王争いが
世界中で盛り上がり、
時代はホームランバッター全盛期に
突入していた事からリックに声がかかる事は無く
MLBで活躍の場は与えられなかったのです。
するとその年のシーズンオフ、
内外野どこでも守れるユーティリティプレイヤーに
目をつけた千葉ロッテマリーンズは交渉を開始、
チャンスを求めていた身長183センチ、
体重90キロの小柄な助っ人は海を渡って来たのでした。
ショートの名で登録された右打者は
ポジションのショートとかぶって紛らわしいからと
全試合でリック・ショートとアナウンスされるようになると
主にサードやレフトを守りましたが
オールスター投票でも何故か
遊撃手部門で票を獲得します。
成績の方は127試合に出場して打率3割3厘と
一定の活躍を見せましたが、
来シーズンから就任が決まっていた
ボビー・バレンタイン監督は
「併殺打が多いわりに長打が少ない」と解雇を選択、
代わりにやって来たベニー・アグバヤニ、
イ・スンヨプといった大砲に押し出される形で
退団した助っ人は
「好成績なのに放出されたのは辛かったね」と
無念の帰国となりました。
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