【グレン・ブラッグス】これぞメジャーリーガーという規格外のパワーで横浜の夜空に本塁打を連発した真面目なクリスチャンは命を懸けてプレーしているという野球の事になると我を忘れて伝説の乱闘王とも呼ばれた大砲
おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。
今回はグレン・ブラッグスを
取り上げていきます。
https://www.youtube.com/watch?v=vjRk3-tQNrQ
1962年、アメリカ合衆国カリフォルニア州で
11人兄弟という大家族の中に生まれたブラッグスは
サンバーナーディーノ高校時代から、
類まれなる野球の才能を見せると
1980年のMLBドラフト6巡目で、ニューヨーク・ヤンキースから
指名を受けましたが、ハワイ大学進学の
道を選びました。
大学生になってもその活躍は止まらず
3年終了時に再びMLBドラフト2巡目で
ミルウォーキー・ブルワーズから指名されると
プロ入りを決意、1986年にメジャー昇格を果たしたのです。
翌1987年には77打点を記録してチームの
中心打者に成長すると、1990年シーズン途中、
優勝争いを展開していたシンシナティ・レッズへ移籍、
第4の外野手という立場ながら、
72試合で打率2割9分9厘の好成績でチームに貢献しました。
進出したチャンピオンシップシリーズの第6戦では
9回にあわや同点ホームランという当たりを
キャッチするビッグプレーを見せて
ワールドシリーズに出場、2打点をマークする活躍で
世界の頂点に立ったのです。
しかし2年後の1992年、ブレーブス戦でホームランを
放った瞬間、膝から「パン」と音がしたというほどの
大ケガに見舞われたブラッグスは
足を引きずりながらダイヤモンドを
1周したものの、これがメジャー最後の打席と
なってしまいました。
その年のオフ、怪我を気にして契約する球団はなく、
途方に暮れていたところに横浜の名スカウト
牛込氏が声をかけると
「怪我もあって不安だったけど横浜から誘ってもらって
本当に嬉しかった」と
身長193センチ、体重100キロの助っ人は
海を渡ってきたのです。
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