セス・グライシンガーという男
1975年、アメリカ合衆国カンザス州に
生まれた本名セス・アダム・グライシンガーは
5歳の時に野球を始めると
類まれなる身体能力で投手兼遊撃手として活躍、
ほかのスポーツでも能力を発揮していましたが
マクリーン高校3年時に野球一本に絞った事から
バージニア州の
ゲータレード・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました。
すると卒業した1993年、MLBドラフト7巡目で
クリーブランド・インディアンスから
指名を受けましたが
2人の姉も教師という教育熱心な両親の勧めもあり
バージニア大学に進学すると金融業を専攻、
学位取得を目指しながら野球を続けたのです。
後に福岡にやってくる
ブライアン・ブキャナンとチームメイトになり
大学3年時に12勝2敗、防御率1.76という好成績を
残した事から
アトランタオリンピックのアメリカ代表に
選出されると
3勝を挙げて銅メダル獲得に貢献しました。
1996年、その活躍が認められ
デトロイト・タイガースから
MLBドラフト1巡目指名を受けたグライシンガーは
2年目にメジャーデビューを果たすと
21試合に先発して6勝を挙げたものの、
その後は1軍と2軍を行き来する
エレベーター生活を送っていたのです。
ミネソタ・ツインズやワシントン・ナショナルズ、
アトランタ・ブレーブスなどを転々としていた
2005年、のちにヤクルトスワローズにやってくる
ダニエル・リオスの代役として
韓国リーグの起亜(キア)タイガースと契約した
右腕はアジアに戦いの場を移すと
途中入団ながら6勝を挙げる活躍を見せました。
翌2006年も先発ローテーションの一角として
29試合に登板、14勝12敗、防御率3.02と
2年連続で活躍した事から
先発投手を探していたヤクルトスワローズは
年俸4600万円で長身右腕の獲得を表明、
身長190センチ、体重90キロの助っ人は
海を渡って来たのです。
当初は外国人枠の関係上、
ディッキー・ゴンザレスとの
併用が予定されていましたが、
ゴンザレスが開幕直前の
緊急手術によりシーズン絶望となった事から
ローテーションに組み込まれた背番号29は2007年、
開幕から29イニング連続無四死球を記録したほか、
監督推薦でオールスターゲームに出場するなど
16勝8敗、防御率は髙橋尚成(ひさのり)
に次ぐ2位の2.84をマークしてリーグ最多勝に輝きました。
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