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【ウィリー・アップショー】ニューヨークでくすぶっていた才能あふれる若者はルール・ファイブ・ドラフト制度の対象となり新設球団トロントで開花し中心打者として活躍した後に喧嘩で日本プロ野球を盛り上げた助っ人

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回は、ウィリー・クレイ・アップショーを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=aoF_zrsANCM&t=40s

1957年、アメリカ合衆国テキサス州に生まれた
アップショーは、1975年のMLBドラフト5巡目で
ニューヨーク・ヤンキースに入団しますが
その選手層の厚さからマイナー暮らしを
余儀なくされていました。

有望選手が十分な活躍の場を与えられず
傘下のマイナーリーグで飼い殺しになる事を
防ぐために作られた
ルール・ファイブ・ドラフト制度の対象となり
1977年12月、ヤンキースではメジャーに
昇格する事のないまま
新設されたばかりのトロント・ブルージェイズに
移籍します。

翌1978年4月9日、デトロイト・タイガース戦で
早速ライトの守備からメジャーデビューを
果たすと6回表にはセンター前ヒットを放ち
メジャー初安打も記録しました。

この埋もれた才能を発掘する制度によって
のちにヨハン・サンタナやシェーン・ビクトリーノ、
ジョシュ・ハミルトンら、多くのスーパースター達も
羽ばたいていったのです。

1982年からはファーストのレギュラーに定着し
チームトップの21本塁打に75打点を記録、
その翌年には打率3割6厘、27本塁打、104打点の
好成績を残してMVP投票11位に入る活躍を
見せると、のちの本塁打王セシル・フィルダーや
7年連続30本塁打のフレッド・マグリフら
若手中心のトロント・ブルージェイズの中で
主力打者として躍動します。

1988年、クリーブランド・インディアンスに
移籍した直後にFA権を取得し新たなチームを
探していたちょうどその頃、日本では
南海ホークスをダイエーが買収して福岡移転が
発表されました。

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