【ベニー・アグバヤニ】新庄とニューヨークメッツの顔となった大砲は恩師ボビーバレンタインに誘われて来日すると前評判を覆し不動の4番打者としてチーム三冠の成績を残して日本の仲間に溶け込んだ陽気なハワイアン
おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。
今回はベニー・アグバヤニを
取り上げていきます。
1971年、ハワイはオアフ島ホノルルで
フィリピン移民の家系に生まれたベニーは
ハワイ・パシフィック大学を卒業すると
1993年のMLBドラフト30巡目で
ニューヨーク・メッツから指名を受けました。
1994年から始まったストライキの影響を
受けながらも
3Aノーフォークで地元のスターになると
1996年はハワイ・ウィンターリーグに参加、
所属したヒロ・スターズで
のちに北海道日本ハムファイターズで
指揮をとるトレイ・ヒルマン監督のもと、
阪神タイガースから派遣されてきた新庄と共に
汗を流したのです。
1998年、念願のメジャー昇格を果たしたベニーは
2ケタ本塁打を放つ活躍を見せると
東京ドームで行われた2000年3月30日、
シカゴ・カブスとの開幕シリーズで
延長11回ツーアウト満塁から代打満塁本塁打を
かっ飛ばしました。
さらにその年、進出した
ナ・リーグディビジョンシリーズでも
第3戦の延長13回、
永遠に球団の記憶に刻み込まれ、
ファンは一生忘れないと評された
サヨナラ本塁打も放ったのです。
勝負強い打撃を魅せるハワイアンヒーローは
「スタジアムが揺れていて最高だったよ」と
振り返り、ボビー・バレンタイン監督も
「当初、フロントは彼に期待していなかったけど
誰よりも早く走り、誰よりもパワーを
持っている事をあのホームランが
証明したね」と回想しました。
2001年、ビッグボスこと新庄剛志が
メッツにやってくると
チームの注目選手として球団のテレビCMで
共演するほどでしたが、翌2002年に
コロラド・ロッキーズ、シーズン途中で
ボストン・レッドソックスと移籍を
繰り返します。
実はその頃、中日ドラゴンズは獲得した
ケビン・ミラーを紳士協定に違反した
レッドソックスに横取りされた事から
代替選手としてベニーを差し出されましたが
入団には至りませんでした。
しかし2003年オフ、9年ぶりに千葉ロッテマリーンズの
監督復帰が決まったボビー・バレンタインは
「彼は最高のチームメイトで
最も日本に来てほしい選手だったから
海外に行かないかって誘ったんだ」と愛弟子に
声をかけると恩師の誘いに呼応した身長183センチ、
体重100キロの巨漢は海を渡ってきたのです。
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