マーク・クルーンという男
1973年、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブロンクスに
生まれたクルーンは
シャドーマウンテン高校時代から速球派投手として知られ
1991年、ドラフト2巡目でニューヨーク・メッツから
指名されると、プロ5年目には移籍した
サンディエゴ・パドレス傘下の2Aで163キロを記録しました。
しかし球は速いが制球が悪く、肘にメスを入れた事もある
右腕に声をかける球団は無かった事から
マイナーリーグを転々とする日々を送っていた2004年の
シーズンオフ、1勝2敗19セーブと
やや物足りない成績に終わっていた守護神、
佐々木主浩(ささきかづひろ)の代わりを探してた
横浜ベイスターズから声がかかると、
メジャー通算26試合の登板で0勝2敗、防御率7.76と
行き詰まりを感じていた身長188センチ、体重86キロの
右腕は最後のチャンスを求めて、海を渡って来たのです。
マイナー時代にメジャーで活躍する佐々木を見ていたクルーンは
「私にとってササキさんは憧れのピッチャー。
アメリカ時代から可愛がって貰ったんだ。日本で同じチームに
ササキさんがいるのはすごく心強かったよ」と
来日当初から大魔神に敬意を表すと
牛島監督の指導にも熱心に聞き入り
投球フォーム改造に着手しました。
重心を軸足に残すようにした事で制球力が改善された
背番号42は「日本では縁起の悪い番号なんでしょ。
でも自分は4月2日生まれだし、ジャッキー・ロビンソンと
同じ背番号なんて光栄だよ、
アメリカでは付けられないからね」と
喜んだのです。
開幕早々に戦線を離脱した佐々木に代わって
守護神の座についた助っ人は
「ササキさんが帰ってくるまで頑張るだけさ」と
4月30日に158キロの日本タイ記録、
5月11日に159キロの日本新記録と徐々に
球速をあげていくと、
7月19日の阪神戦でついに161キロを叩き出しました。
「俺は甲子園が好きなんだ。ブルペンで投げていると
バカ外人ってヤジとペットボトルが飛んでくる
エキサティングな雰囲気がメジャーみたいで
最高だね、燃えてくるんだよ」と完全にストッパーに定着した
助っ人は8月、尊敬する佐々木の引退試合に立ち会ったのです。
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