ロベルト・ペタジーニという男
1971年、ベネズエラは
ヌエバ・エスパルタ州に生まれたペタジーニは
アントニオホセ大学在籍中にドラフト外で
ヒューストン・アストロズと契約して
プロの道を歩み始めると、
4年後の1994年4月4日、
モントリオール・エクスポズ戦で
メジャーデビューを果たしました。
シーズン通してわずか8試合のみ、
全て代打での出場だったうえに
ヒットゼロと思うような成績は
残せませんでしたが
プライベートでは人生の伴侶を手に入れます。
遡る事2年前、ペタジーニは
小学校からの幼馴染みで5歳年上の
友人ミッシェルさん宅に遊びに行った際、
友人の母オルガ夫人に一目ぼれ、
既婚者だったオルガ夫人がこの年、
離婚した事から急接近すると
そのままゴールインしました。
ペタジーニ23歳、オルガ夫人は25歳年上の
48歳だったため
友人のミッシェルさんにとっては
5歳年下のお父さんとなり、
ミッシェルさんの子供からは
20代にして、おじいちゃんと呼ばれるように
なったペタジーニでしたが、野球の方では
まだ芽が出ず、パドレスやメッツなど
マイナーリーグを転々とする日々を送ります。
新婚3年目の1997年、3Aで32本塁打、
翌1998年は24本塁打と2年連続で
3AのMVPに輝くなど少しづつ
結果を残し始めましたがメジャー昇格には至らず
「こんなに打ちまくっているのに
どうして俺をビッグリーグで
使ってくれないのか?」と不満を
募らせていきました。
その情報を聞きつけたヤクルトスワローズは
すぐに現地に飛んでペタジーニと接触、
「ヤクルトに来たら毎試合必ず試合で
使う事を約束するから」と口説き落とし、
出場機会とビッグマネーに飢えていた
身長185センチ、体重84キロの大砲は
海を渡ってきたのです。
MLB時代、通算10本塁打とメジャーでは活躍
できなかったものの、中日ドラゴンズの
スカウトも獲得を狙っていたほど
ポテンシャルが高かった助っ人は
オルガ夫人から
「野球だけでなく言葉や習慣を理解し、
日本の文化を好きになることが重要よ」と助言を
受けてキャンプインすると、
夫人を同じ部屋に宿泊させ
2人で寝るためのダブルベッドや
夫人が手料理を作るためのキッチンを
希望しました。
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