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【マット・マートン】厳格な家庭に生まれ MLBドラフト1巡目とエリート街道を真っすぐ歩くはずだった巧打者は異国の地へ渡ってくると1年目からイチローを凌駕する天才的な打撃を見せて大阪で愛された男
おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。
今回はマット・マートンを取り上げていきます。
https://www.youtube.com/watch?v=VntY4ElQmpk
1981年、アメリカ合衆国フロリダ州で
両親ともに敬虔なプロテスタントで教師という
厳格な家庭に生まれたマートンは
ジョージア工科大学3年時の2003年、
MLBドラフト1巡目で
ボストン・レッドソックスから指名を
受けると卒業まで後33単位を残した状態で
プロ入りを決断します。
大いに期待されての入団でしたが
シカゴ・カブスから譲渡を強く望まれた球団は
2004年、多くのレッドソックスファンが
嘆きの声をあげる中、4チームを絡めた
大型トレードを画策し、ノマー・ガルシアパーラと
共にシカゴへ放出されました。
翌2005年7月8日、フロリダ・マーリンズ戦で
早速メジャーの初陣を飾ると、そのデビュー戦で、
のちに阪神タイガースでチームメイトになる
ランディ・メッセンジャー投手から
ライト犠牲フライにツーベースを
放つ活躍を見せます。
最終的に打率3割2分1厘、7本塁打、
14打点をマークした事から
翌年にはレフトのレギュラーに定着、
初打席で本塁打を放つなど
幸先の良いスタートを切ったほか
8月3日には4打席全て二塁打という
1試合最多二塁打記録も樹立しました。
シーズン通して打率2割9分7厘、
13本塁打、62打点の好成績に
マートンの特徴である赤毛の髪を
真似たカツラを付けて観戦に訪れるファンが
急増したのです。
翌2007年6月12日のマリナーズ戦に
6番ライトで先発したマートンは
のちに記録が絡み合うイチローと
同じグラウンドに立ちましたが、
この年、アルフォンソ・ソリアーノ、
クリフ・フロイド両外野手が
カブスにFA移籍してきた事で状況は一変、
長打力重視の方針を掲げたチームの中で
2割8分1厘と安定した打撃を見せていた
巧打者の出場機会は激減していきました。
マイナー落ちした2008年は
オークランド・アスレチックスや
コロラド・ロッキーズと移籍を繰り返しましたが
出場機会に恵まれる事はなく、そのまま
シーズンを終えると、5歳年下の弟ルークが
ニューヨーク・ヤンキースから
ドラフト指名されたのと入れ替わるように
2009年のシーズンオフ、数奇な運命が動き出します。
阪神タイガースの1番打者、赤星(あかほし)が
試合中に負った大怪我から復帰の目途が立たず、
「次は命の危険もある」と
医師に宣告された事から球団は引退を勧告、
赤星自身も志半ばでユニフォームを脱いだために
穴が空いた1番センター候補を探していたところ
駐米スカウトのアンディ・シーツから
マイナーでくすぶっていた
アベレージヒッターを紹介されました。
ロッキーズから保有権譲渡を受けて
交渉に乗り出した阪神は契約金5000万円、
年俸1億円の2年契約を提示、
日本プロ野球のレベルはMLBと3Aの間の4Aだと
思っていた身長185センチ、体重99キロの助っ人は
妊娠中の妻をサポートする専属通訳に
住居まで提供される条件に入団を決意して
海を渡ってきたのです。
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