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【ホセ・ロペス】ロナウジーニョに憧れていたサッカー少年は野球の方で頭角を現すとイチローとコンビを形成したほか守備の名手としても活躍 来日後もその輝きは失われる事なくチームの精神的支柱となった助っ人

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回は、ホセ・ロペスを取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=cVGxY_ht2EQ&t=19s

1983年、ベネズエラに生まれた
本名ホセ・セレスティーノ・ロペス・エチェバリアは
中学生の頃まで
ロナウジーニョやロナウドに憧れる
サッカー少年として
大半の時間をサッカーの練習に費やしていました。

それでも中学から始めた野球で
すぐに頭角を現し
2000年にドラフト外でシアトル・マリナーズに
入団するとマイナーリーグで2度のチームMVPに
輝くほど才能に溢れた若者は
2004年7月31日、アナハイム・エンゼルス戦で
メジャーデビューを飾ったのです。

イチローが258本の最多安打を達成した
試合にも出場していたロペスは
2006年から二塁手のレギュラーに定着すると
イチローの後を打つ2番打者として活躍、
怪我で出場を辞退したロビンソン・カノの
代役としてMLBオールスターゲームにも
出場しました。

「うちからはイチローだけだと
思っていたら私の名前が呼ばれてね、
思わず泣いてしまったよ」と
オールスターゲーム選出に歓喜の涙を流すと、
シーズン通して打率2割8分2厘、10本塁打、
79打点をマークした事から4年の長期契約を
勝ち取ったのです。

身体が硬く、自己管理も苦手だった右打者に
マリナーズは体脂肪率、60ヤード走、
垂直跳びなど
毎年チェックする契約条項を付帯、
1つクリアするごとに2万5000ドルのインセンティブと
体重制限を組み込むと
2008年は191安打、2009年は25本塁打と
期待通りの活躍を見せました。

2009年の開幕前にWBCベネズエラ代表として
打率4割1分7厘、2本塁打で優秀選手に輝いたほか
4年間マリナーズのレギュラー二塁手の座を
堅守しましたが
翌年、ショーン・フィギンズの加入により
サードにコンバートされると
一気に歯車が狂い出したのです。

コロラド・ロッキーズやフロリダ・マーリンズ、
シカゴ・ホワイトソックスなどを転々としながら
FAとなったロペスに2012年のシーズンオフ、
読売ジャイアンツのスカウトをしていた
元日本ハムのフェルナンド・セギノールが
声をかけると
「ファーストもできるかって聞かれたから
もちろん、どこでも守る気があると伝えたよ。
これからメジャーでプレーできる保障もないし
マイナーは嫌だったからね。
ジャイアンツだとファーストで出られる
チャンスがあると聞いて日本行きを決めたよ」と
原監督が補強ポイントに掲げていた
クリーンナップが打てる一塁手に
合致した事から身長184センチ、
体重103キロの助っ人は海を渡って来たのでした。

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