私の恋愛観の変遷

わたしは、19歳まで恋愛とはセックスをすることだと思っていた。アダルトコンテンツを見て、どうしても女の裸は気持ち悪くて、自分のその気持ち悪い女の体であることを人に見せるのも嫌だった。だから、恋愛するならゲイにならないとだと思っていた。
中学で当時これが恋何だろうと思っていた経験が2回あった。今思うとどちらも憧れだった。そのころから男性アイドルにもはまっていた。それもずっと、今でも憧れだ。なりたい男性像であって、男らしさに女性として興奮したりすることは全くなかった。見るたびに、来世はああなりたいと思っていた。

19歳まで、恋愛経験がないのはとても恥ずかしいことだと思っていた。告白されたことも、告白したことも、もちろん恋人がいたこともなくて、でもそれを言うと笑われるんじゃないかって思っていた(実際笑われることもある)。早く童貞処女を捨てて、たくさんの人とセックスをする人が、カースト上位のかっこいいイケイケ集団だと思っていた。でも人と恋愛的に付き合う利点が全く分からなかった。中学での”恋”もみんなの恋とは違うなとうすうす感じていた。

19歳ですべてが変わった。LGBTQは自分とは違う遠い人たちだと思っていたけれど、友達に詳しく教えてもらって、その子の自認がAロマンティックAセクシュアルであることも教えてもらった。そこで恋愛=セックスではないことを知った。恋愛しないという人がいてもいいということを知った。

一か月後に高校の友達と会った。当時私は1か月の自己分析の結果、FTMゲイに近いのではないかと思っていて、その子と恋愛の話になったときに軽い感じで、笑い流せるように、ネタかのように言ってみた。その子は笑わなかった。私も高校の時から女の子と付き合ってきてて今も女性の恋人がいると教えてくれた。そこからいろんなことを相談して、Xジェンダーというものも教えてもらった。さらに彼女にはポリアモリーという概念についても教えてもらった。恋愛が2人でのものという固定概念が自分にあったことを知った。LGBTQは前から身近にいたのに知らなかっただけだと知った。

セックスが恋愛の大事な要素の人もいるだろう。でも、そうである必要はないとLGBTQコミュニティから学んだ。そうしたら、自分の今の性別で、同性に恋ができるようになった。19歳で初恋をした。初めて好きな人への思いに”自分”が入ってきた。今まで”恋”だと思っていた人にも、幸せになってほしいとか、笑顔でいてほしいとは思っていた。でもその女の子に対しては、”私の前で”笑っていてほしい、そう思った。これが私の中での恋だな、初恋だなととても腑に落ちた。同性に恋をしたことに罪悪感は全くなかった。ポジティブな気持ちしか生まれなかった。私は恋が出来ない人間だと思っていたから(もちろんそれが悪いことではないのだが、自分の中でネガティブなものだった)。「私にも恋ができるんだ!」という喜びがすべてだった。

未だに、好きな人の裸体を見たいとは少しも思わない。ただ、それでも恋してると言えるということを知った。救われた。
LGBTQを細かく教えてくれた友達、レズビアンであることをカムしてくれた友達。感謝しかない。
私の10代は最後の最後に素晴らしい思い出となって終わっていった。

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