#3:aikoとドラえもん
(1年前、2020年に書いたものです)
今、皆さんは何をしているのでしょうか。一見、普通に仕事をしているように見える人でも、精神的・物理的に影響を受けていることと思いますが、僕の周りの人たち(主にクラシック音楽に関わる音楽家や指導者)は、“影響を受けている”という言葉では治らないほどに、生活の全てが変わってしまい仕事すらままならないという状況の方が多いようです。これは深刻に思い詰めたらすぐ心がやられるな、と明るい方向へと舵を切っているのですが、最近思ったことを書きたいと思います。
今まで当たり前だったコンサート(生で音楽を楽しむという大きな意味で)は、もちろん開催ができず、音楽家の多くは動画や配信というオンラインでの演奏を提供してくれています。今までもオンラインで楽しむ方法はあったのですが、なんとなく「生」のものに価値を感じていたのか、怠惰だったのか、僕自身はそういったコンテンツに積極的ではありませんでした。もちろん、大好きなaikoがYouTubeライブをした際には狂喜乱舞して見ましたし(何ならちょっと泣いたし笑)楽しんではいるのですが、aikoの生ライブにも参戦したばかりだったこともあり、人のいない会場で一人歌うaikoはちょっと寂しそうで、誰と会話しているのか目も合わないお客様とのコミュニケーションに苦労しているように見えてしまいました。(通常のライブではお客さんとの直接の会話がとても多いaikoさんです笑)
多分音楽はCDやダウンロードで高音質のものを聴くことができますし、素晴らしいものなのですが、生演奏と録音、そして動画演奏やライブ配信とでは、当たり前ですが全く異なるものだと、僕は最近強く意識するようになりました。観客との音楽を介したコミュニケーションが、一体感やその日だけの特別な音楽や作品を生むのではないでしょうか。
そう、オンラインで聴けるものや、動画などに価値が感じられるのは、実は生で聴いた時の感動体験やその場でしか起こり得ないコミュニケーションがある、ということを知っているからこそ、その価値がさらに高まるものなのだと思います。(もちろん動画自体に、動画だからこそパワーを持ったものもたくさんありますよね。)
今は、これまでのように直接音楽に接することができない事態となってしまっていますが、先ほど書いたように生のライブとオンラインでの出来事は、全く異なるとわかった上で、僕がやりたいと思えることは、今できる方法でリアルをお届けすることです。(まずインスタグラムのライブ配信で、生演奏同様、“覆水盆に返らず”のやりっぱなしリレートークをしています。)
その人物像や人柄は、コンサートでもオンラインでも魅力が損なわれることはなく、皆さんが受け取りやすい環境で、その音楽家の音楽の捉え方やヒントを見つけられたらいいなと思うのです。もしベートーヴェンが生きていたら(大物すぎますが)、僕もちょっとお話聞いてみたいです。
コンサートの良さを知っている方であれば、しばらく聴けないくらいでその価値を疑うことは、もちろんありませんし、むしろこのような状況でも、たくさんの音楽家の今の姿や、実はコンサートでは見ることのできない素顔や日常会話から、音楽の生まれるその人物の礎を感じていただけるのではないか、と思っています。
なんども言いますが、コンサート会場に集まり、音楽自体を直接楽しむことが難しい今、奏者とオンライン上でコミュニケーションをしていただけるライブ配信という形で、コンサートや音楽の魅力をもう少し深めていけたらいいなと、真剣に考えています。知っている人のコンサートであれば、多くの方が興味を持つように、これもクラシック音楽やその奏者を身近に感じていただく1つの方法なのではないでしょうか。
アフターコロナと言われる収束がいつ訪れるか分かりませんが、ウィズコロナという状況の中でできることを模索することは、ある意味で楽しい空想に似た(昔からドラえもんが教えてくれる、あんなこといいな、できたらいいな、の精神ですね)前向きな発想の進化に繋がるものと思っています。
ただただ闇雲に前を向けと言われることは辛いのですが、いつも楽しい空想が新しい未来を作っているのかも知れないと思うと、今はできないと思える出来事も、いつか可能になることを信じられるような、そんな明るい気持ちになれる気がしました。
2020.5.9 SAT
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