これからの御前田 ―活動の方向性―
私、御前田次郎はこれからどうしようとしているのか。怪読師として得意分野の朗読で勝負し続けるのか。それとも、怪談の世界のど真ん中に入って行って怪談師として実話怪談を語り、賞レースで優勝を狙うのか。そのために怖い話を蒐集するのか。怪談を執筆するのか。期待と興味を持っている方もいらっしゃるかもしれないし、お前のことなんか興味ないという方がほとんどかもしれない。さて、これから先どうなるのだろうか、私自身も分かっていないのである。
いや、そういうわけにもいかないので、この辺で進む道をある程度決めなければと思い、書きながら整理してみる。
(結論だけ知りたい方は「まとめ」の項をお読みください)
【追記】2024年6月末の方針
方針
自分発の怪談は創作を基本とし、それを読んだり語ったりする
実話の体では書かない。創作だと分かりやすい書き方を心掛ける、もしくは注釈を付ける
他者の実話怪談を朗読させて頂くことはある
数少ない実話怪談を読んだり語ったりする可能性はある(その場合は実話と明言する?)
いずれ体験談の提供を受けて実話語りを増やしていく可能性はある
目指す立ち位置
すげぇ面白い怪談・奇談を書いて自分で読む(たまに語る)人。他人の怪談も古典も読む。
そうすると活動範囲はえらく狭くなるがそれは構わない。多くの方々がやっていることに参入する必要はない。自分にしか出来ないことをやればいい。
イベントに御前田のキャスティングをお考えの方へ
オリジナル実話怪談を披露する可能性はほぼ無いことを御承知おき下さい
逆に言うと、創作OKとか、カバー朗読OKとか、そういう場合はお受け出来ます
【追記】2023年11月末の現状
基本的な考え方はほぼ変わっていない。多少の違いがあるとすれば、2024年はもっちょっと積極的に行動しようかと。たとえばイベントを企画するかもしれないし、質にこだわり過ぎずにアウトプットの数を増やしていくとか。
以下は2023年5月時点の考えである。ご参考まで。
現在の立ち位置
第一回怪読戦での優勝以来、怪読師として怪談の朗読を、企画に呼んで頂くという形で動画や配信でいくらか披露している。おもに作家先生が書いた作品の朗読が中心ではあるが、ゲストで呼んで頂いた配信番組「怪奇財団 化けの皮」では古典怪談の朗読、自分の体験談の語り、自作の創作怪談の朗読も披露した。
この記事を書いている2023年5月現在、前述の配信番組で広げた可能性(語り、古典、自作怪談)を視野に入れつつも、やはり怪読師として存在している。
今後の基本的な立ち位置
怪読戦を機会に足を踏み入れた私であるが、今のところ怪談の世界のど真ん中に入っていくつもりはない。私は盛り上がりの真ん中に入って行って輝ける程の存在ではないと思っている。少し外れたところでちょっと珍しいことをやって気に掛けてもらい、影響力のある人に拾って貰えれば儲け物ぐらいに考えている。怪談を生業にするつもりはないので、端っこで終わるならそれで構わない。
でもって、この世界のど真ん中というのは自分で蒐集した実話怪談の語りだろうと思う。その真ん中に入るつもりはないということは、つまり何が何でも実話怪談の語りで勝負するとか実話怪談の作家として売るとか、そういうつもりはないということ。実際、実話怪談にしか興味のない怪談ファンは多く、それらの方々の支持は得られないだろうけどそれは仕方がない。
パフォーマーとしての今後
主たる活動は怪読師というのは変わらないと思うが、怪談の語り手として台本なしで語ることもやらないわけではない。そして「活動の形式」というものを考えた場合、怪読にしても語りにしても随分とあるのでそれぞれについて以下に述べてみる。
◇ライブイベントに参加
今のところ自分で企画するつもりはないが、もしお声がけ頂けるならば参加したいと思っている。怪談か怪読かは柔軟に対応するつもり。
◇賞レースに参戦
朗読の賞レースは怪読戦しか知らない。2023年もおそらく開催されるだろう。参加者としてエントリーする以外にどんな形があるのかは分からないが、怪談朗読を盛り上げていくためにも何らかの形で関わりたいと思っている。
語り形式の一般的な怪談の賞レースについては時期尚早だろうと思う。なにせレパートリーがない。賞レースのためだけに数本用意することも可能だが、レパートリーをたくさん持って経験を積んで実力を付けてから参戦したいというのが正直なところだ。レパートリーが100本超えたら出るかもしれない。
◇ネットでの動画投稿や配信
これは無理のない範囲でやっていこうと考えている。ただ、数字には囚われたくない。投稿の頻度、アクセス数、高評価数、投稿者数、それも大事なのは分かっているが、数字が少なくても焦らず、まずは自分の納得のいくコンテンツを出していくことを優先したい。
書き手としての今後
パフォーマーとしてどのように活動するにせよ、問題になるのは何を読むか、語るかということだろう。その辺もはっきりしておかなければならない。
実話か創作かという選択
怪談ファンの多くが求めているのは実話怪談のようだ。この世界で活動するならばそれは避けて通れないだろう。
しかし私は創作で何がいけないのかという思いが強い。作り話を生々しく表現できるのであれば嘘のような本当の話に勝るということは充分にある。本当のような嘘の世界。受け手と共に作る「もしも」の世界。素晴らしいではないか。
そもそもエンターテインメントのほとんどは創作だ。ヒットしたホラー映画も創作である。実話にこだわる怪談界が特殊なのだと思う。もちろんそのこだわりが魅力なのだというのも理解できる。ただ、もっとエンタメとして一般化した怪談の世界を広めてもいいのではないか。そう私は考えている。
という考えのもと、では御前田はどうやって怪読・怪談のソースを入手するのか、いくつかの可能性を挙げて考えてみる。
◇実話を取材して書く・語る
本当にあった出来事を取材して書く、語るというのはもっとも一般的な形だろうと思うが、取材は積極的にはやりたくない。今のところ怪談を中心に生きているわけではなく、怪談以外の朗読のほうをメインにするつもりだし、ナレーションもなんとか収入源にしようと考えているので、怪談の取材に時間とエネルギーをあまり使いたくないというのもある。ただ、話を提供して頂けるのであればありがたく受けたいと思っている。御前田次郎に書いて欲しい、怪読して欲しい、語って欲しいという方がいるのかは分からないけれども。
◇創作する
実話の取材をしないのであれば、創作するしかない。物語を考えて文章にするというのは苦手ではない。今までも素人であるが小説もどきをいくらか書いてきた。創作と言ってもスタイルは色々あるが、ルポルタージュ寄りの文章よりも文学の色の付いた作品を書きたいと思っている。
創作か実話か、そこを明言する必要はあまりないような気がする。「どうせ創作なんだろう」という中に、「もしかしたら実話かもしれない」という想像の余地を残しておくぐらいでいいだろうと思う。
自分で創作した話を語りで披露することもあるだろう。だが、その場合もまずは書き物として残したい。読んでもOK、語ってもOKのレパートリーとして蓄積したい。
◇他者の作品を読む
多くの怪談作家の先生がいて、多くの作品がある。書き物としての怪談を御前田次郎が朗読するという機会があってもいいのではないか。この作品を読みたいと私が望むこともあるだろうし、御前田に読んで欲しいという作家先生がいらっしゃるならたいへん嬉しいことである。
◇古典怪談を読む、翻訳・翻案する
怪談と言えば古典という時代もあったと聞く。時代が変わっても魅力を失わずに生き残っている古典怪談がある。それらを朗読や語りで伝えている人はそれなりにいらっしゃるのだが、御前田次郎がその中の一人として存在していてもいいのではないか、そう考えている。
古典文学は原文を音声で表現するのがいちばんいい。極論を言えばそれ以外には古典の魅力は伝わらないとすら思っている。ただ、原文を読んだとしてどれだけの人が理解できるだろうか楽しめるだろうかと考えると、かなり難しいと言わざるを得ない。やはり分かりやすく翻訳、要約するしかないのだと思う。できればその中に原文を交えて魅力を伝えていきたい。
まとめ
朗読をメインに語りもやる。求められるのはどちらか、そのイベントに適しているのはどちらかを選んでやっていく。
イベントにはそれなりに参加する。企画は当面はしない。
音声・動画の投稿・配信はそれなりにやっていく。無闇に数を増やすことはしない。
賞レースは実績が伴わないうちは参戦しない。怪読については考える。
創作を中心にどんどん書いていく。
実話か創作かには拘らない。「実話かもしれない怖い話、不思議な話」として書く。
すべての話は、まず書き物として書く。それをベースに読みも語りも自在にできるようにしたい。
レパートリーを増やすという点において、実話情報の提供や、他者の作品の朗読の提案は受けるつもり。
以上