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母に会えたら

 私には霊感がないらしい。そもそも霊感の厳密な定義など分かっていないのだが、霊を見たことも怪しい声を聞いたこともないし金縛りにあったこともないので、とにかくそのたぐいの鋭い感覚を持ち合わせていないということだけはわかる。
 それでも何年か前に広島の平和記念公園で慰霊碑の前に立ち、真っ直ぐに正面を向いた時にぞわぞわっとしたものを感じたことはある。それが霊感というものなのかは私には分からないが、全くゼロというわけではないのかもしれない。

 そんな私に図らずも自分の霊感を試す機会があった。
 四年前、母が亡くなったときのこと。葬儀が終わり、実家に戻って近親者でささやかな御斎おときを催した。故人を肴に思い出を語ったり今後のことを話したり、どこにでもあるような宴だった。
 夜も更けて床に着こうとなったが、父と、兄、姉、甥二人もいて寝室はいっぱいだったせいで、私は母の部屋で寝ることになった。その和室には祭壇が置かれ、おこつもそこに置かれている。その前に布団を敷いて私は母の遺影に見守られながら寝る格好だった。
 亡くなった人が霊となって枕元に現れるという話はよくあるらしい。場合によってはそれが死の直前である場合も多いと聞く。ならば霊感の無い私でも、最も繋がりの強い母の霊に遭遇することはあるのではないか。そんなことも考えた。というよりもそれを期待した。霊はたしかに怖い。でもそれが母ならば私を苦しめることはないはずだ。母が息子の私をどれだけ愛してくれたか。その愛の深さを四十を過ぎてから知った。こんなに深い愛に私は気づかずに何十年も生きて来たのか。そう思ったこともある。それを考えるとむしろ出て来て欲しい。最後にもう一度息子の顔を見届けて旅立って欲しい。そんなことを思いながら私はいつの間にか眠りについていた。

 目覚めた時には外が明るくなっていた。何も起こらなかった。誰も現れなかった。誰も私の枕元に立たなかった。やはり私には霊感はなかったのだろうか。霊感なんてあってもしようがない。寧ろあると困るとずっと思っていた。だが、この時ばかりは少し残念な思いをいだいたまま、いつまでも母の遺影を眺めていた。

―― 了 ――

(この話は実体験に基づく話です)


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