コーヒー豆の怪
私は無類のコーヒー好きで、豆を自分で挽くのは勿論のこと、休日は生豆を買い出しに行って自宅で焙煎することも多い。
ある日曜日、私は行きつけの豆店に稀少な豆が入荷したとの情報を得て、勇んで買いに行った。限られた狭い地域で生産されており、今年の豆は特に出来がいいという。早く飲んでみたいと、帰宅するとすぐ焙煎器に入れて火を掛けた。弱火で水分を飛ばし、それからやや火を強める。この辺りで豆のはぜるパチパチという音が聞こえだす。私はこの音が大好きだ。この豆はどんな音を奏でてくれるのか。目を瞑り耳を澄まして音を楽しみながら同時に焙煎の具合を確かめる。
しばらくすると、何か豆がはぜるのと違う音がすることに気づいた。それは猫の鳴き声のようにも聴こえる。どこから聴こえるのだろう。猫など飼っていないし、今はこの家には私ひとり、日曜は外も静かだ。もしやと思って焙煎器に耳を近付けると、やはりその中から聴こえているらしい。よく聴くと甲高い叫び声にも聴こえるし、そう考えると人間の言葉にも聞こえてくる。言葉だとするとなんと言っているのだろうか。
「クエッ! クエッ!」
強いて言葉にするならそうも聴こえる。いずれにしても私の理解できる言葉では無かった。やはり人の声などではない、あるはずがない、豆の収縮か何かで高い音が出ることもあるのかもしれない。私はそう考えた。
焙煎の具合は上々だった。立ち昇る香りからもそれが窺える。早速飲んでみたい。通常は二、三日寝かせて安定させるのだが、その日はどうしても待ちきれなかった。焙煎の度合いに合わせて豆の分量を計り、ミルに入れてハンドルを回し始めた。ガリガリという音。これも私は大好きだ。ガリガリ、ガリガリ。音とともに手に伝わる振動を愉しんでいると、またもや変な音がする。これもやはり人の唸り声のように聴こえる。
「ドー! ドー!」
今度はドードーかと思いながら挽き続けるとその声はしばらくして聞こえなくなった。
それからお湯を沸かし、フランネルフィルターで丁寧にドリップした。今度も何か不思議な音が聞こえるかと思ったが、ボワッと豆が膨らむ音、コーヒーがポタポタと落ちる音以外は何も聞こえてこなかった。
ここまで手間を掛けられるのは幸せなことなのかもしれない。いつもその幸せを感じながら一杯のコーヒーを愉しむのに、その日は不審な音のことが気になって折角の稀少な豆もいまひとつ愉しめず、非常に残念な日曜になってしまったのである。
しばらく経ってそのコーヒーの産地のことを詳しく調べてみた。そこには、労働者が奴隷のような扱いで働かされていることが問題になっていると書かれていた。私はそれを読んで、焙煎しているときの謎の音はその労働者たちの叫びだったのではないかと思えてならなかった。
―― 了 ――
(この話はフィクションです)