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知られざる「川崎音頭」「川崎小唄」を再び現代にー民謡歌手・伊藤多喜雄さんに聞く

今回は昭和5年(1930年)に川崎市の委嘱により作られた「川崎音頭」「川崎小唄」の秘話をお届けします。これらは歴史に埋もれ、昭和59年(1984年)に披露された記録を最後に、現代では忘れられてしまった曲ですが、2021年に民謡歌手で川崎市市民文化大使の伊藤多喜雄さんが発掘し再録音を行いました。伊藤さんにお話を伺いながら、これらの曲についてひも解いていきます。

佐藤惣之助と町田嘉章

これらは2曲とも川崎ゆかりの詩人・佐藤惣之助(1890年-1942年)が作詞し、町田嘉章(1888年ー1981年)が作曲を担当しています。佐藤惣之助は川崎宿の本陣佐藤家に生まれました。現在の川崎信用金庫本店が惣之助の生家があった場所です。

佐藤本陣跡・佐藤惣之助の碑

惣之助は詩人・作詞家として活躍し、古賀政男と組んで多くの歌謡曲を世に送り出しました。代表作に阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」があります。また、詩人の萩原朔太郎は義兄にあたります。

そして作曲者の町田嘉章は日本民謡研究家であり、昭和16年に始まったNHK『日本民謡大観』事業に携わりました。民謡の専門家であるとともに作曲家としても活躍し、北原白秋作詞の「ちゃっきりぶし(茶切節)」などの新民謡を多数作曲しました。
こうした、第一線で活躍する作詞家、作曲家が携わったのが「川崎音頭」「川崎小唄」でした。

昭和5年のレコードリリース時には下記のような紹介が書かれています。

その昔東海道の道筋に當り京濱間六郷河畔の大工業都市。東洋のマンチェスターと称せらるゝ川崎の小唄と音頭で御座います。(中略)詩人佐藤惣之助氏の力作で、町田嘉章氏の作曲。「小唄」のほうは現代の用語を素晴らしいモダーン的に表現せるもので「音頭」の方は川崎の今昔を比較して唄ひ、情緒●●(不明)たるものであります。
一地方の民謡として推奨されるものでなく一般に宣傳愛唱せらるゝ可き価値が充分あると存じます。

出典:「THE NITCHIKU NEWS」第一巻第四號 昭和五年七月十七日発行

新民謡というジャンル

「川崎音頭」「川崎小唄」はいずれも”新民謡”と呼ばれるジャンルです。
新民謡とは、伝統的に歌い継がれていた民謡とは異なり、地域おこしのために新たに作曲された民謡風のご当地ソングです。伊藤多喜雄さんは新民謡の作曲家である町田嘉章を調べる中で、この「川崎音頭」「川崎小唄」の存在を知ったそうです。
「町田嘉章は、全国に新民謡をたくさん作った人です。”新民謡運動”というのがありましたが、古民謡の人たちとは別に、学者さんたちが作りあげたんです。たとえば静岡のちゃっきり節もそうです。一番の違いは、古民謡は伝承なので作者不詳ですけれど新民謡は作詞家と作曲家がはっきりしているということです。現代ではどちらも立派な民謡ですが、分類をすればそうなります。
当時の学者さんたちは花柳界で遊びますから、そこには三味線や鼓や琴などの楽器があるわけです。そこに出入りする中でこういう歌を作ったんじゃないかと思っています。そして、ハイカラな言葉とハイカラなメロディを使っているのが特徴です。また芸者さんが歌ったり演奏するものですから、フレーズ的には端唄小唄が入っています。野外ではほとんど歌われないものです。さらに、この歌はレコード化されます。川崎には日本コロムビア(当時の日本蓄音機商会)がありましたから、そこでレコードになり、川崎市のお偉いさんたちが川崎市の外で配って歩いたんですよね。市の宣伝のために。だからおそらく買われたもののほうが少なかったんです。だから現物がほとんど市内に残っていない。
つまり、観光誘致に使われたんです。こういう類の曲というのは地名が入ってますよね。わかりやすいところでいうと東京音頭がそうです。今でいう、ご当地ソングなんですよ。
僕は北海道出身で北海道の民謡収集もしていますが、北海道よりも数十年早い時期にこういうものを取り入れたということは、川崎にはお金があったということでもあります。「川崎音頭」や「川崎小唄」が生まれた背景には、町の金銭的余裕と学者が出入りするような環境、そして花柳界で楽器を演奏してくれる芸者さんもいた。これらが三位一体となって出来上がった曲なんです」

伊藤多喜雄さんは資料を交えながら貴重なエピソードをたくさん語ってくださいました

忘れ去られた「川崎音頭」「川崎小唄」

「しかし残念ながら、先ほど申し上げたようにこれらの曲は有力者が配布して回ることに使われて、一般の方には届かなかったようです。なので、一般の人に対しては川崎市文化協会や教育委員会が、こんな曲がありますよと何度か披露しただけでその時が終わるとまた忘れ去られてしまうという繰り返しで、誰にも知られていないんですよね。昭和59年の川崎今昔会(佐藤惣之助を偲ぶ会)で、振り付け付きで披露されたという記録を最後に、もう40年も演奏されていないんです。
幸い、川崎市が保管していたレコードを貸していただき、2021年に改めて録音を行いました。そして、2022年5月に沖縄との交流が深かった佐藤惣之助の詩碑を移設する式典で演奏しました。ただ、この時レコーディングしたカラオケ音源は悪天候のため機材トラブルで使えず、結局アカペラで歌うことになりました。ですのでいまだにせっかく作ったこの音源も埋もれたままなんです。
今後、できればこの『川崎音頭』『川崎小唄』を多くの方に聞いていただきたいですし、また現代風にアレンジしてもいいと思っています。両面の使い方がありますよね。そのものを聴いてもらうのと、僕のソーラン節のようにロック風にして今の子どもたちに浸透させる手段として使うということもあります。ストリートダンスの川崎と言われているわけですから、ダンスと組みあわせてもいい」

民謡でまちを知るきっかけに

「古民謡も新民謡も自分たちの地域の歌として取り上げてもらえたら。民謡は自分の住んでいるまちを紹介することができます。そのまちにはいろんな生活感があり、そこに存在しているんだということを歌手として僕は伝えていきたい。ソーラン節を全国の子どもたちが踊って、覚えて、そこからソーラン節ってなんだろう、北海道のどんな人たちが歌っていたんだろうと思いを馳せることができるわけじゃないですか。北海道の民謡というのは本州からやってきた人たちのエネルギーが集まって出来上がってきたものです。音楽の生い立ちはその都道府県、市町村によって全く異なるものであって、それをメロディと言葉で伝えられる。かつての暮らしぶりを音楽で子どもたちに教えてあげたい、伝えていきたいと思っています」

取材・文 前田明子
カバー画像 CC BY 4.0 by 川崎市

伊藤多喜雄(いとう・たきお) 民謡歌手
北海道苫小牧出身。
「3年B組金八先生」で知られた南中ソーラン「TAKiOのソーラン節」の生みの親。
NHK紅白歌合戦出場(1989、2003年)
祖先が残してくれた故郷の歌、民謡を「民謡界」の枠にとらわれず音楽の原点である自由でフリーな捉え方で歌い、表現し伝えるTAKiOワールド、民族音楽としての民謡を、洋楽器と共にアレンジし、TAKiO BANDが演奏する中でTAKiO流の唄い回しで唄い上げる。一見民謡とは接点が有るとは思えない様々なジャンルのミュージシャンとも共演し、ライブ活動を展開、民謡の復活へ向けて活動の場を切り開いてきた。傍ら「唄さがしの旅」を重ね、生活に基づく唄を訪ね歩く。唄を通して、地域の活性化を図るため楽曲の作詞作曲、日本各地の町おこしにも関わり、学校公演はもとより教科書の教則本で歌唱指導も行っている。
かわさきFMにて2021~2022にかけて「伊藤多喜雄の好きですかわさき」生放送昼60分番組出演

伊藤多喜雄 オフィシャルサイト

「川崎音頭」「川崎小唄」CDの貸出について

市制100周年の本年、川崎における当時の雰囲気や昔ながらの情景などを感じて頂ける作品になっていることに加え、カラオケバージョンも収録されておりますので、地域のお祭りやイベントなどでご使用頂けるほか、皆さまで歌っていただくなど、ぜひ広くご活用頂きたいと思っております。
CDの貸出については、川崎市市民文化振興室までお問い合わせください。
Tel  :044-200-2029
Email :25bunka@city.kawasaki.jp

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