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生きて、いたくても――Sep#6

 正確には言えないけど、と前置きをして、彼女は話し出した。子供の頃から能力は発現していて、当時は夢と同じ、眠っている時だけに見えていた。数年後に今みたいな「未来視」が初めて開花するまで、必ず現実になる夢も所詮は夢だと気に留めたりはしなかった。それがいつからか不思議なものだと知り、能動的な実行も出来るまでになった。
 能力の特徴、「主観」は額面通りの意味で、「未来視」なら自分の、「過去視」なら対象の記憶にある視覚情報のみ、音などは分からない。だから、状況が曖昧な事もあると言う。
「例えば学校で火事になったとするじゃん? 火元は遠くて、熱さとか煙とか特に実感もないんだけど、『火事です、避難して下さい』って放送がある訳。で、あたしは逃げる。でも映像だけだと、何で急に騒がしくなって大移動が始まるのかは分からない、みたいな」
「消音して番組を見る様なもの、なんだね。本当に見るだけで」
「そうそう。因みにそれがいつの未来なのかも、本当は分かんないんだ。判断材料があるかどうか次第。それとね……これは矛盾してるみたいに聞こえるかも知んないけど、『未来視』を使った時点で、『視た』通りの正確な未来は失われる」
「……どう言う事?」
「未来は既に決まってる、ってのも言ったよね。その決まってる未来を『未来図』としよう。その未来図には、明日友達と遊んで、明後日お母さんに怒られて、って言う、完全に決められた『偶見A』が登場するの、だけど」ポイント、と強調するかの様に、人差し指を立てる。
「本来知らない筈の『偶見A』の情報を『未来視』で知ってしまった現在のあたしは、その瞬間に同一ではない存在、『偶見B』になるの。未来図には、『未来視』を使って本来の行動を変える、って所までは書かれてないんだよね。この能力は未来図にとってイレギュラーだし、だからこそ、『未来視』って概念が完成する。もし『未来視』を使う事までが未来図に書かれていたら、あたしの『未来視』には、未来図とは違う未来、存在しない未来が映っちゃう事になるから」
「……メタが絡んで来る訳だ。確かにややこしく聞こえる」
「その時点で古い未来図は破棄されて、今度は未来を知って行動する『偶見B』を含めた未来図が新たに書かれるの。知っちゃった以上、同じ様に行動する事は可能でも、全く同じ行動は不可能でしょ? それで、『正確な』未来は失われる。だからこそ未来を変えられるんだけどね。……ただ、逆に言えばこの能力って、多分慎重に使わないといけない筈なんだ。バタフライ・エフェクトって知ってる?」
「俗的な用法だけど、風が吹けば桶屋が儲かる、ってあれと同義だね」
「うん。例えブラジルの蝶が一回羽ばたいて、本当にそれがテキサスに竜巻を起こしたとしても、未来図には既に書き込まれた、決まってる内容なの。だけど、あたしは不定要素だから、実際に何かを起こし得る。本当は今日の事だって、それまでの予知だって、結果が変わって、外れたっておかしくないんだよね」
「偶見の能力が、今日の雨さえ晴れにするかも知れない、って事?」
「いやー、流石にバタフライ・エフェクトは大袈裟で、気象とかが変わったりはしないと思うよ。あたしが『視た』未来に対して、変わる様な干渉が出来る対象だけじゃないかな」
 それでも彼女は、雨に降られる側の僕たちを変えられる。異能の発揮値としては充分だ。
 複雑に聞こえていた能力の全貌も、要素で纏めると主なのは三つだった。「主観」と「未来の書き換わり」、そしてもう一つ「能力の対象」。彼女は最後の説明を続ける。
「えっとね、『未来視』に関しては、普段はそんなに先までは分かんないの。何箇月単位とかではね。で、『視える』のは割合近い未来の、その中でも重要、重大っぽい事がランダムに、一つだけ。選べないんだ。それで最初に戻るけど、能力の冷却期間が長ければ長い程、単純な話、色んな精度が上がるんだよね」
 間を置かずに「未来視」を使っても、映像が極端に短いとか範囲が数分先程度にとどまってしまうとか、断続的だったり不鮮明だったりで、殆ど無意味らしい。逆に長く冷却しておけば何箇月単位でも見る事は可能で、また、力が残っていなくても無理に範囲を伸ばしたりも出来る。但しその場合、代償としてオーヴァーヒート、彼女の体は著しく変調を来してしまう。
「例えば今日の雨はさ、現象自体は何でもないけど、帰り道で降って来ちゃって、お気に入りの本がぐしょぐしょになる映像だったの。あたしにとって重要な事だったから、優先的に今日の雨が『視えた』んだと思う。あの、屋上に来ないって時もそう、先生に見つかってさ」確かにあの時、「げ」とか言っていた。
「音がないからやり取りは判断出来ないんだけど、そんな映像が出て来た以上は、そこそこマズい状況になってたと思うんだよね。先生の表情も込みで」
 コントロールは不可能で、情報も映像のみ。制約は多いけど、人智を凌駕した能力には違いない。随分細かい設定だからきっと嘘ではないし、……嘘だとしたらその分だけ痛い。
 それでも「未来視」なんてものは、身に起こる起伏の中から気紛れにどれかを選び取る程度なのだ。よく番組や記事で取り沙汰されたりする、何年後に世界が滅亡なんて言う大それたスケイルの映像を見た経験なんて彼女にはない様だし、余程の変異がない限り、基本的には実に一般的で平和な、あくまで一人の少女の日常を先取り出来るだけの、ささやかなトゥール。
 彼女の解説が終わった所で、頃合いとばかりに予鈴が鳴る。
「……長くなっちゃったね、面白い話じゃなかったでしょ。ごめんね」
「どうかな、興味深いと言えばそうだし、難解な様だけど、何となく把握したかな」
「そう?……宮下君はちゃんと聞いてくれるからさ。嬉しくて。ありがと」
 屋上に出入りしている事が露見しない様、そっと偶見が扉を開ける。彼女が先に階段を降りて斥候の役目を果たし、僕はポケットから取り出した錠を掛け、彼女の合図で後に続く。
「来週……楽しみにしていいのかは分からないけど」
 彼女が手を振った。「うん。じゃ、またね」

 別れてから凡そ二時間後、予告通り、雨は訪れた。傘なんて無意味なくらいの勢いで。
 だから僕はそれがやむまで、図書室で時間を過ごした。雨音の祭りが終わって、薄い飴細工の様な光が差し込み始めるまで。そうして帰ろうと玄関で靴を履き替え、ふと振り返った時、傘立てに挿した黒い異物が、一人でこっそり笑っていた。
 傘を取らないで、僕は玄関を出た。

 今まで二回、「未来視」の結果を聞いて、それは両方共に当たったと称していい。だけど、やっぱりどこかで信じ切っては、完全に認めてはいなかったのだと思う。まだ冗談でも済ませられる域だった、その点では。
 だから或る意味、僕にとって「過去視」の内容こそ、本当に信じられないものだったと言うべきだ。彼女の能力が、もう嘘や冗談ではなくなってしまったのだから。


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