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生きて、いたくても――Sep#4

 そもそも三日後、何故偶見は屋上に来るのだろう。その疑問は後になって浮かんだものだけれど、目的があるのかないのか、そもそも偶見は連日ここを訪れていた。「遊びに来たよー」と、僕みたいな人間が一人しか居ない場所に。最初から通う心算だったらしい。
 暗黙の内に、昼休みは共有の時間になったらしかった。僕の聖域、僕だけの聖域ではなくなったけれど、嫌ではなかった。それ以外の時間で彼女が屋上に来た事はなくて、それは僕が確実に来るのが昼休みだからだろう。僕が来ないと入れもしないのだから、当然だ。解錠自体は、コツなど知らなくともめちゃくちゃにやって外れるから、実はそんなに難しくない。
 僕の方も、他の場所で彼女を見掛けた事はなかったし、彼女がどこのクラスなのかさえ把握していない。まだ親しくなったと言える程ではないのも一つあるけれど、「今までお互いに知りもしなかったのに、数奇なきっかけで結ばれて、昼だけに顔を合わせる二人」と言う特殊な経緯を辿った関係には、秘密めいた愉しさがあって、敢えて聞かないままの方が相応しく思えた。

「さあ、いよいよ明日ですよ。どう? 気分は」
 偶見は必ず向かい合って座る。僕としては何だか気恥ずかしいのに、彼女は平気な顔だ。特に意識したものでもなくて、自然なのだろう。この場所だって、偶見とはデペイズマン――違和をもたらす組み合わせ――の関係に思えるのに、すっかり馴染んでいる。
「まだ半信半疑だけど……」
「一信九疑くらいでしょ。もっと下かな」
「いや、興味はあるよ」
「へへ、ありがと。ちゃんと聞いてくれてるだけ、宮下君は優しいよね」
「馬鹿にしたり……はしないよ。そりゃ、軽信も出来ないけど」
「そう言って貰えるだけで嬉しいんだ、あたしは。だからこそ、宮下君には認めて欲しいとも思ってる。……ちょっと、話してもいいかな」
「あ、うん。何?」
 そう言いながらも偶見は逡巡している風だったけれど、俯いたまま、やがて口を開いた。
「人の未来ってさ、その人が生まれた瞬間から、実はもう、死ぬまでの全部が決まってるんだよ」
「……え?」
 どすん、と。
 その言葉が落とされた時、鈍い音と共に衝撃だけが先に伝わって、少し後から足元に意味が転がって来るまで、僕はそれを呑み込めずにいた。
「でも、絶対的なものじゃ、ないって」
「それは未来を知ったらの話。自分の未来さえ知ってれば、それとは違う結果に進む事も出来るけどね。だから実質、不可能なのかな」
 まだ信じて貰えてないのに、前提すっ飛ばした話で悪いんだけど、と苦笑しながらも、話を継ぐ。
「何て言うかな、自分が選んだと思っていた事が、全部予め組まれたプログラム通りだった……ってのとは少し違くって、自分が選んだ事を先の先まで積み重ねた全体図が、最初から出来上がってる、って感じなんだけど」
 つまり、と彼女は一息挟む。
「元々用意されてるレイルなんてなくて、自分が進むレイルを敷いてるのは、間違いなく自分たちなの。卒業して、大学行って、……或いは行かないかも知れないし、結婚して、或いは結婚しないかも知れない。未来にあるそれぞれの選択はあたしたちがしてるんだけど、それは既に未来のあたしたちが選択した事の繰り返し、トレイスって言い替えれば分かるかな」
 繰り返し。トレイス。
 未来の自分が通った道を、今の自分がなぞっているだけ。
「……視点を変えてみよっか。未来の自分からしたら、自分こそが『現在』で、ここに居るあたしたちは『過去』なんだよね。過去って、物理的に変えられないでしょ? その理屈」
「そん、な」
「だから、神様によって決められてる訳ではないんだけど、未来のあたしたちによって既に宿命づけられてるんだよね。その未来を変える、って、実際はとんでもなく大変なんだ。自分が選ばない道を選ぶ、本当の意味で、自分を変えなきゃ、超えなきゃいけないから」
 彼女が顔を上げる。視線がぶつかる。
 不意打ちだった。
「宮下君ってさ、いじめられたりしてない?」

 それは、今まで僕が絶対に言葉にしなかったものだった。

 自覚がない程、道化じゃない。何せ、一年の時からだ。自分の受けている事、置かれた状況は自分でも認めている。だけど、「その言葉」を、僕は徹底的に排除し続けて来た。
 上手く説明は出来ない。でも、どうしたって心理的なものだろう。「その言葉」の威力は、たった三文字なのに余りにも大きくて、この状況を名のある明確な形にしてしまったら、当て嵌めてしまったら、僕はもう二度と起き上がれない気がした。
 だから、僕が「それ」を受けていると、どこかに、誰かに、僅かでも出力した事はない。通学だって半ば無理に継続している。単純に、不登校期間があればあるだけ、将来に影響が出るんじゃないかとか、そんな諸々の不安もあった。だけどまず第一に、突然学校に行かなくなれば、必ず何かを思わせる。間接的な出力。「それ」を知られるのは、堪らなく嫌だった。
 外的な要因だけならまだ救いがある。だけど、僕の受けている事が誰かの下で明るみに出てしまえば、そこから先は僕の精神的な側に宿る、自意識の内傷に変わる。知った人の目は、意味を乗せて来るから。ああ、彼は、あの子は、あいつは、「   」られているんだ。
 だから僕は、僕を見ない。
 だから僕は、人に見られてはいけない。
「……分か、るの」
「あたしはさ、最初この屋上から宮下君が飛び降りて死んじゃうんだと思ってたから。それに家とか、どっか別の場所ならともかく、学校でってもう、絶対何か関連した意味あるじゃん。まあ、それは勘違いだったとしても」小さく笑みを浮かべたままで、偶見の表情が、蜉蝣の羽みたいな、寂しげなものに変わる。「丸々勘違い、って感じでもなかった。宮下君見てると、さ」
 思い返してみても、僕に「それ」を受ける覚えはない。多分、誰でもよかったのだ。
 うちの高校は、変わったクラス替えの方式を採用していた。二年に進級する際には、普通の再編成が為される。個々の成績や性格や人間関係、そう言った諸々を考慮したであろう、実にクラス替え然としたものだ。
 ただ、三年に上がる時には、一年の編成か二年の編成、よりよかった方をそのまま採用、それに準じてクラス替えが行われ、或いは行われない。いずれにしても一年間学級を共にし、深い絆で結ばれた「仲間」と過ごす事で、重要な時期である生徒に負担を掛けない為……どこかで見たか聞いたかした説明は、そんな文言だったと記憶している。
 だから基本的には、三年でクラス替えはない。どう考えたって、少ない情報で組み合わせた一年の時より、二年の方が均衡の取れた采配に決まっているからだ。だけど、僕たちの場合は例外になった。そして、一年越しの悪夢が再来した。
 編成の具合で、偶然にも原因の殆どから離れる事が出来た二年の時は、一年の時と比較しても受けた行為の程度がかなり軽い。僕としても避ける様にしていたけれど、やっぱり、彼たちにとっては本当に誰でもよかったのだし、必ず求められるべき娯楽でもなかった。当時は各々の学級内に、別のターゲットが作られていたのかも知れない。陰湿さはなくて、いっそ清々しいくらい割り切られた行為。誰か一人がそんな役を負っている方が、「収まりがいい」から。
 それが、僕に対して再燃した。だからこそ、か。既に作られた、好適なターゲット。
「一人で屋上に毎日来るってのも引っ掛かってはいたしね。……まあ、七割くらいは鎌掛けだよ、ごめんね。ちゃんとした根拠はなかった」
「……でも、そうだよ。偶見の言う通りだ」
「やっぱり、そうなんだ。……高三にもなってそんな事するの、馬鹿なんじゃない?」
 偶見が唾棄する様に呟く。尤もだけれど、先例は全国にある。報道などで目につくケイスは、大半が自殺と言う最悪の選択をしてしまった、「事件化」したものばかりだろうけれど、きっと実態は氷山の一角だ。
「それ、誰にも相談してないの?」
「うん、ないよ。……駄目だったんだ。確かに僕は崖っぷちに居るかも知れないけど、僕を崖から落とす最後の一歩は、それを認めて、確定させる行為だった。僕の中では」
 僕は、下らないその壁を壊せなかった。
「だから、それを臭わせる言動もしなかった。誰にも気づかれたくなかったんだ。ずる休みとかした事もあるけど、疑われない様に気を遣ったりして。自分で言い出すとか、積極的に認める勇気がなかった、って言えばいいのかな。恥ずかしいとか情けないとか、色々あると思うけど、一言じゃ……言葉じゃ多分表現出来ない」それが煩雑で面倒な、心と言うものなんだと思
う。自分にだって、分からないのだから。「……寧ろ、偶見の方からそう言われた時、ちょっと安心した」
 自首も出来ないけれど、いざ捕まると、素直に非を認める犯罪者の心境かも知れない。臆病、なんだろう。諦めを、誰かにつけて貰わないといけないなんて。
「でもさ、酷い事言うけど、それって結局、決まってる未来なんだよ。外からの干渉もあるけど、宮下君が選んだり選ばなかったりした結果、『それ』は今まで続いて来たし、このまま続くかも知れない」
「……いいよ。確かに辛いけど、後たった……四箇月、しかないんだ。冬休みに入れば、三学期以降の登校日数なんて数えるくらいだし、その先はもう、関係ない」
「どうかな。そうなるかはもう、分かんないよ?」
「え?」
「あたしは本来、屋上なんてものの存在を知らなかった筈なんだ。でも今、未来は変わって、そして、その先で宮下君に干渉した」
 出会った時と同じ、自信に満ち溢れた眼差し。
「もう、結果はどうあれ、あたしに関わった宮下君の未来も変わってるの。宮下君だってさ、本来『あたしと出会わなかった』筈だから。前にも話したけど、『未来視』は『その結果が必ず訪れる予言』じゃない。未来はさ、知れば簡単に変わるんだよ。だから」
 それは彼女に、これ以上ない程似合っていた。
「いっそあたしと、もっと思いっ切り、未来、変えてみない?」

 果たして翌日の木曜日、僕は風邪を引いた。それまで兆候など微塵もなかったのに。最も危惧していた理由とは違っていて、杞憂だった事に安堵はしたけれど。
 ただ、彼女の能力を本物だと仮定するなら、確かにこれは休む理由に足るくらいの症状だ。熱と頭痛が殊に酷い。それでも無理を押して、四時限目には間に合う様、駅に向かった。
 とは言え僕はまだ、偶見が本当にその能力を有しているのか、確信を持てるだけの証明を示して貰ってはいない。現状も、偶然で片づけられる範疇だ。それに「未来視」の結果は絶対じゃなく、変える事が可能だと言うなら、証明自体が最早難しい様に思えた。だけど。

「未来、変えてみない?」

 変えてくれた。未来がどうあれ、彼女の言葉は確実に、「僕」を。
 だから僕は、能力の有無でなく、「彼女」の事くらい、信じてみたっていい筈だ。

「……鍵開いてるから、居るのかなーとは思ったけど」
 いつもの時間。青空の下の密室で、彼女は嬉しそうに笑った。

「おめでと、宮下君。今、未来が一個変わったよ」


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