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生きて、いたくても――Nov#24

 特別棟の二階。美術準備室の扉についた小窓の光は、中に誰かが居る事を示していた。
「失礼します」
 三上が扉を開くと、狭い室内には木製の椅子に細井先生が腰掛けていて、クロッキーの上に鉛筆を走らせていた。僕たちの姿を横目で認めると、手を止めて立ち上がる。
「おう、来たな」
 癖のついた髪に痩せ型の体格。高身長だから自然と見下ろされる形になって、今はそれが、僕の中にある圧迫感に相乗効果を与えていた。
「……前提が間違ってちゃ話にならんから確認するが」
 分かっていた。このタイミングで、「この三人だけ」が呼ばれた理由。だけど。
「『スプリー・スリー』、合ってるな?」
 思わず、息が詰まった。
 計画は全て、上手く行ったと思っていたのに。

「それじゃ、成功を祝して」それが、何の、とは言わなかった。周囲にあまり注意を払わなくてもいい場所を選んではあるけれど、大っぴらに言える事でもない。それでも、その場の誰もが分かっていた。「乾杯っ!」
 偶見の音頭に合わせて、全員がそれぞれの手に持った缶をぶつけ合う。僕だけは拳だ。
 集まったのは、僕たち「スプリー・スリー」に加えて、「セヴンティーファイヴ・インヴィティーズ」の首謀者たち。案の定その正体は美術部のメンバー全員で、つまるところ内輪だ。
 祝賀会は元々「スプリー」の三人で予定していたけれど、校庭の方へと出て行くと、既に一団を成していた彼たちに誘われ、大同して今に至る。
 グラウンドからは少し離れた、校舎寄りの場所。あまり目立たず、周囲を気にしないでもよく、それでいて不自然にならない一角だ。バーベキューは開始から早々大盛況で、網が空くまでには時間が掛かりそうだから、串は貰わずに皆ドリンクの券だけを先に使っている。
 美術部員は男子二人、女子が三上を入れて五人。僕は人の名前や顔を覚えるのが苦手だけれど、最初の印象が強い星岡さんを始め、記憶が彼たちの作品と結びついているからか、意外とすんなり頭に入っている。
「お疲れ様です、先輩。捕まらなかったみたいでよかったです」
 新居君が笑う。ありがとう、と返し、僕も笑った。
「でも、めちゃくちゃ大胆な事しますね。パフォーマンス・アートなんか、俺たちでもやった事ないですよ。しかも文化祭狙って、予告もなしに」
「うん、まあ、そうだけど……新居君たちだって、同じ様なものだったよ。それも、僕たちより大規模で。サプライズで、本当に驚いた」
「大規模って言っても、本当に七五人は用意出来なかったんですけど。ってまあ、俺が偉そうに言える事じゃないか。発案者はアイツなんで」
 三上と話し込んでいる倉井さんを指し示す。彼女の作品は美術部員の中で唯一見た事がなかったけれど、逆にそれで覚えている、……と言ったら失礼だろうか。身長が高いのも特徴だ。僕と同じくらいだから、一七〇センチ近くはある。
「でも、何でまた」
「さあ、理由なんかあんのかな。思いつきじゃないですかね。多分、他の皆も面白そうって感じで乗っただけですよ。俺もそうだし。おーい、倉井、ちょっと」
「は? 何、呼んだ?」
「宮下先輩が『SI』のきっかけとか知りたいって」
「ああ、今みか先輩ともちょっと話してたけど」
 そこで一度切ると、赤と白でデザインされた缶を傾けて、喉を鳴らした。それが何だかとても様になっている。新居君共々、どちらかと言えば運動部みたいだ。
 倉井さんが、再度口を開く。「面白そうだったから」
「ええ? うわ。本当かよ。ほら、ああ言う奴なんですよ」
「やかましい。何ああ言う奴って」
「いや、本当に便乗しただけかよ。深い話とかないのかよ」
「違うって。……『クエスチョン』の説明を最初にみか先輩に聞いた時、思ったんだけどさ。みか先輩がやりたい事だったとしたら、美術部のメンバーを誘えばいい訳でしょ? なのに部と関係ないメンバーだけで結成して、アタシたちには概要の説明だけ。だから、これって宮下先輩か珠ちゃんから持ち掛けた話で、しかも、三人だけの私的な行動理念があるんじゃないかなって考えて。アタシたちとは無関係、且つ関係させたくはないって言うか」
 思わず目を見張る……ご明察。気づけば一同が静まって、彼女の話に傾聴している。
「でもやっぱり企画は面白そうだったし、アタシ好みだし。なら外様は外様で、『クエスチョン』じゃなくて、『麻紐のジョイント』をやろうかなって思っただけ」
「は? 何、『麻紐のジョイント』って」
「ああ、どうせアンタには分かんないわ」
 板についた様な自然さで、肩を竦める。きりっとした顔立ちやその身長も含めて、凄く洗練された、スタイリッシュな印象の人だ。
「みか先輩くらいじゃない、この中で通じるの。あ、宮下先輩は? 知ってます?」
「……多分、だけど」覚えがある。彼女が言いたいのは、「『読売アンデパンダン』、だよね」
「うん、流石先輩。アタシたちより精通してんだから、みか先輩だって部員より宮下先輩とやった方が賢明だわ」冗談めかして、そんな事を言う。
 無審査、自由出品の公募展だった「読売アンデパンダン展」。古い話だ。六〇年代初頭、そこに出品されたものの一つに、色々なものに絡みついた黒い紐の作品があった。それは展示室の床を這う様に置かれた異様な姿で、だけど幾ら異様とは言え、その長さは有限だった。
 ところが会期中の或る日、いつの間にかその先端に全く尋常の、そして尋常ではない長さの麻紐が結び合わされていて、それはどこへとも知れず伸びていた。驚く事に、辿ってみると麻紐は美術館の外までずっと続いていて、長い道程の末、駅へ進入した麻紐は線路のレイルと言う新たな「紐」――実際レイルに直接結ぶ事は難しかっただろうから、駅舎のどこかとも言われているけれど――に繋がり、日本中を舞台にした、最早ランド・アートとも言えるものへと変貌していた。勿論、作者の意図ではない。後に誰の仕業かも判明している。
 倉井さんは、それを基に発想したのだそうだ。外部の意図が、影響を与え、違う価値を付加し、そのスケイルを大きくした所まで、照合してみればベクトルはよく似通っている。
「アタシ、あの話凄い好きなんですよ。それにほら、『クエスチョン』って名前も、いかにもハイレッドのマークを想起させません?」
「……ああ、成る程」
 全く意識していなかった、だけど、言われてみるとそうだ。その紐の出品者がメンバーとして参加していた前衛芸術グループ「ハイレッド・センター」は、赤い「!」をトレイド・マークとしていた。
「だから、思いついたのは割とすぐだったんですよ。それに、そう言うサプライズや色々な偶然性を含めたものが、このジャンルのあり方だろうって」
「そっか、うん、藍ちゃんらしいね。『クエスチョン』の名前は、私も少し意識してた。最初にコップを投げられた時は、驚いて、思考が止まっちゃって。でもね、凄い、嬉しかった」
「ああよかった。確かに楽しかったけど、それだけじゃね。勝手にやっちゃえとは思っててもさ、『スプリー・スリー』の皆がどう思うかってのは、また別だし」
「あたしも楽しかったよ。シャンパン・ファイトが出来ると思わなかったもん」
「うん、僕も、助けられたと思う」
 あの行動があくまで催しの一つみたいな雰囲気で扱われたのは、彼女たちの貢献もあったからだ。僕が覚えている限り、相対した人や周辺の観客はその多くがさほど悪い反応を見せていなかった。無関心な人もまた多かっただろうけれど、比率で言うなら、迷惑したのは大方が学校側だ。
 三上が小さく苦笑する。「だけど、あの垂れ幕は、ちょっとやり過ぎじゃない?」
「そこはアタシもちょっと不満だったんですけどね。と言うか美的には論外」
「でもよ、分かりやすい効果を狙うんならあれくらい荒っぽい手じゃないと」
「まあ、あれで何かをやってる事と、何をやってるかは周知出来たもんね。一瞬で」
「だろ? 何の集団なのかも分かんなけりゃ、何をやってるのかも分かんないんだから、不審さって言うのか、取り除いとかないと動きにくいだろって思った訳」
「うーん、でもさ、バレる心配ないの? あたしたち三人だけだったら多分、よく分かんない闖入者で済んだけど、あれだけやっちゃうと美術部が絡んでるって気づかれない?」
「さあなぁ。だから敢えて芸術だのアートだのって言葉は使わなかったんだけど。パフォーマンスって、知らなきゃ寧ろ美術部とは結びつかないし、事実、うちでも前例ないしな。絵ばっかりでさ。それがバレても、どっちにしろ宮下先輩と偶見には繋がらないって」
「あー、ちゃんと工夫があったんだ。じゃあ、ちょっとは安心してもいいのかな」
「……。ごめんなさい、二人共。その限りではないかも知れないです」
 三上が、小さく呟いた。さっきまでとは打って変わって、声も表情も少し、硬い。
「何? どしたのみかちゃん」
「ちょっと、ついて来て下さい」彼女が、手にしていた携帯の画面を見せる。最低限の言葉だけで用件を伝える、簡潔な、メイルの文面。
〈偶見と宮下を連れて、美術準備室まで〉。

「どうした、黙り込んで。本当に合ってるのか」
「……え?」
「お前たちが『スプリー・スリー』って事だよ」
「え、何先生、適当に呼んだの?」
「いや、そうじゃないが、つまらないオチさ。掌編のミステリーにだってならない」
 聞いてみれば、どうも先生は、誰が構成員だったかは知っていた訳ではなかった。けれど、三上だけは元々確信していた。そして、この準備室に来る途中のどこかで僕たち祝勝会の会合を見たらしく、当然、美術部に交じる僕と偶見は浮いた存在になるから、それで見当をつけたのだ。やっぱり、芸術の観点を持つ人は誤魔化せない。
「宮下だけは怪しかったんだけどな。こんな事をしそうな奴じゃないから。……とは言え、意外ではあっても妥当なメンバーだ。数字はバラバラだが、スートは揃ってる」
 想像と違って、その口調は穏やかだった。独特な言い回しもいつも通りだ。悪い展開にはならなさそうだと分かって、少し安堵する。やや顰め面の表情はデフォルトだ。
「でも先生、何で私だけは確信してたんですか?」
「……分からないと思ったのか? あのコップ、一個拾って見てみたよ。確かに普段の作風とは違って素早く描かれているが、疑いのない確かな筆致だった。それだけの技量と度量だ、そんな奴はこの学校に二人しか居ない。ああ、そうだ、それがお前でないなら、俺と言う事になる」
「あら、それはありがとうございます」三上が、堂々とした微笑を浮かべた。
「それにお前、自分じゃやらなかっただけで、反芸術とか好きだろうよ。使ってたあのマスクだって、『ゼロ次元』を意識したんだとばかり」
「あ、先生、実際に見てらっしゃったんですね」
 反芸術動向として認められる集団「ゼロ次元」は、時にガス・マスクで防備し、公共の大衆空間で過激な活動を展開した。今回の「クエスチョン」も似た系譜だから当然だけれど、僕たちと重なる部分は多少ある。
 反芸術。美術館美術を拒否して芸術を日常へと降下させたり、既存の定義を逸脱して伝統的な価値を壊したり、芸術の本質や姿とは何かを絶えず問い掛けた。「クエスチョン」だって、多様化した近現代の概念じゃなく、古いままの概念で見れば、とても芸術なんて言い張れるものじゃない。
「さて、話を戻すが……俺にはお前たちが、言葉通りただ文化祭に便乗して『お祭り騒ぎ』をしただけとは思えんのだがな、『スプリー』の諸君。特に、宮下はな」
「うわ、あたしなら普通にしかねないと」
「お前だけだったらなぁ……宮下が居るってだけで、話は違う。お前がしようと思ったって宮下が止めるだろうし、お前にしたって、伊達や酔狂で宮下を巻き込むとも考えられん」
「いや、間違ってはないけど……」
「だから、単にあれをやりたいだけなら、メンバーに宮下が居る必然性を感じないんだよ。何か理由があるだろう。それとも宮下も意外と、三上と同じクチだったか」
「……いえ、僕は、」
「先生」
 偶見が、僕の言葉を遮って、
「宮下君はいじめられています」
「……!」
 心臓が収縮する。三上は顔色を変え、先生も今より少し眉根を寄せた。
だけど。
「……宮下?」
 意外だった。その言葉の響きに絡みついていた茨の様な痛みや苦しさは、ほんの少し、それでいて明らかに分かるくらい、薙ぎ払われていた。
「……『クエスチョン』は、復讐の手段なんです、先生」
 偶見も多分、見境なく暴露した訳じゃない。僕には測りかねるけれど、狙いとか思惑は何かしらある筈だった。それに、どうせ一度飛び出した彼女の発言は今更消せやしない。
「復讐の、手段」同じフレイズを反復する。「あれが、か。その心は?」
 問われて、つっかえながらも、僕は話し始めた。「クエスチョン」の定義、それに基準する法則。殆ど偶見と三上が決めたものだけれど、その説明はきっと、既に僕がするべきものだ。もうそれ程に、「クエスチョン」と僕は強く繋がり合っている。
「……そうか。そんな状況だったとはな」引き絞った表情のまま、ぽつりと言う。「何と言っていいやらな。気がつかなかった。情けないもんだ」
「……表に、出さない様にしてましたから。それに、先生は、担任とかでもないですし」
「そう言う問題じゃないだろう。気づけた筈だ、もっと目を向けてやれてりゃあな。教師の責任は一律だぞ。……、だが」顔の下半分を覆う様にして口に右の掌を当て、考える素振りを見せる。「こんな方法を選ぶって事は、学校に訴えたりだとか、そうする気はないんだな?」
 ああ、分かった。
 この人は、理解、してくれる人なんだ。
「ない、です。出来ないから、とも言えますけど」
「言えないか。まあ、それがどれだけ苦しいとしても、お前を守る為に必要なら、そうしろ。だがもし、自分を守る以上に苦しめるならそれはやめておくべきだ」
「……正直、苦しいです。今だって、話せて少し楽になったくらいで。それでも、公にする事は……やっぱり、怖い」
「だろうな。まあ、こんな重大な話を聞いといて報告しないってのは教師として失格かも知れんが、失格序でに、ここからは一人の人間として話をしようか。去年だったか今年だったか、少し前に京都……大阪だったかな。曖昧で悪い。道路標識への落描き事件があった」
「あ、それ覚えてる。多分どっちもだよ」
「そうか。三上と宮下は知ってるか?」
 首を横に振ったのは僕だけだった。先生の視線が、僕を中心に据えられた。
「落描きって言っても、元の標識が全く認識出来なくなる様なもんじゃあない。一方通行に描き足して、魚の骨みたいなシルエットにするとかな。使ってたのもステッカーだったから、後で剥がせる形だった」
 但し、幾ら軽度であっても道交法や器物損壊で法律に抵触していて、事件として扱われ、問題視もされた。その為、実際に見た人から拡散された情報だけでなくニュースなどでも放送され、世間に認知されたそうだ。
「当然だが、仕掛け人には理由があった。『自動車事故が多い土地で、標識への注意を促す目的だった』って聞いたよ。外国人なんだが、元々ヨーロッパでも同様の活動をしてて、その基本理念が『権力への反抗』ってのは、後から知ったけどな。当時の世論も賛否は分かれたし、賛って言ったって『面白い』とか、『頭の固い日本人には理解されないだけ』とか、そんなのばっかりだったから、否定的な意見が強かったろうな。だけど俺は」難しい顔をしていた先生の眉が、少し緊張から放たれる。「称讃したよ」
「……何だか、意外ですね。あんまり、先生の好みではなさそうですけど」
「やり方は俺好みとは言わんが、『標識への注意を促す作品』だとすれば、これしかなかったと俺は思うね。はっきり言って、ただ注意を喚起する活動なんかやったって誰も耳を貸したりしない。街中でやる芸術テロでしか成し得なかった」
 問題発言かも知れないがな、と言葉を挟み、先を続ける。一人の人間としての話を。
「改変した結果『標識』を『アート』として認識させてしまって、本来持つ標識の意図が反映されないなら本末転倒だし、そうじゃなくても法的なものは考えた筈だ。既にヨーロッパで、過料を取られた事もあるらしいしな。だが、それをどうしても伝えようと思うのなら、実行する以外の手段はなかったろう。枷があったとしても」
「マイナスを考慮した上で、それでも肯定するんですね」
「それが最善、最良とは言えんかも知れん。だが、最大だった。最大だって分かっていながらそこで妥協出来る様な奴なら、元からこんな事考えもしないさ。だからこそ俺も肯定するんだ。お前たちだって、そうなんだろう?」
「……先生は、それが、間違っているとは、思わないんですか?」
「さあなぁ。世の中にはどう考えたって間違ってる事もあるだろうさ。例えば、芸術テロじゃなくて本物のテロだったら、どんな主張があっても俺は肯定出来んよ。行動が生む結果と目的が一本で繋がってない。デモと暴動の違いにも似てるな。と言っても、肯定するのは俺個人の価値観に過ぎないさ。堀田先生なんかは、今頃頭の横から角でも出してんじゃないかな」
 想像に難くない。と言うより、本当に角が生えていても現実として受け入れられそうだ。
「まあ、『スプリー・スリー』が突き止められた時の説教だのは、俺がやらんでもその辺のお堅い人が勝手にやるだろう。何を思ったんだか知らんが、俺だから話した、違うか?」
「事情を話せる相手ってのもそう居ないけど、全部話した上で、だけど放っといて下さいって言って本当にそうする薄情な先生、この学校で細井先生くらいだかんね」
「言いやがるなぁ、本当にそうして欲しいんだろうが。……そうだな、薄情一方ってのはどうにも釈然としないから、最後にこんなメッセイジだけ残しておこう、宮下」
 僕が抱える問題、「クエスチョン」の実態。全てを把握している唯一のアウトサイダーは、淀みない色の言葉を僕に手渡した。「やる以上は、疑うな」
 ――疑うな。善か悪かじゃなく、肯定するでも否定するでもなく、ただ、それを正しいと思うのなら、信じろ。自分だけは、自分を。短い言葉の後ろには、沢山の意味が控えている。
「自分がやる事を自分が疑ったら最後、もうそこに『レゾンデートル』はない。人殺しに対しても同じ話をするのかと問われたって、俺は言うね。疑うな、と」
「……。先生、そこまで言っちゃう? 例えだとしたってさ、……人殺し、だよ?」
「ああ。勿論、開き直れって意味じゃない。実際その行為は悪だし、俺だって否定するさ。それでも、だ。責任を持てるかどうか、覚悟があるかどうか、だよ」
「それが、死ぬ事でも、ですか」
「お前がそれを考えてるんだとしたら、俺ならまずは止めるがな。『死ぬ気でいるなら何でも出来る』ってのは、エメンタール・チーズみたいな脳味噌から飛び出した文句に違いないが、一〇の内なら一理くらいはある筈だ。出来る限りでいいさ、何でも試してみな。『クエスチョン』だけが、お前のよりどころじゃない」
「出来る、限りの……」
「あんまり人の知る所じゃないんだろう、お前の事情は。他に、誰が知ってる?」
「……。ここに居る四人で、全員です。美術部員の人たちも知らない」
「そうか、なら尚更だな。それを話せた数少ない人材なんだ、ちょっとは俺も頼られていい筈だよ。少なくとも、あらゆる神と教会よりは役に立つさ。使えるものは使っておけ、チャンスなんてもんは、スケジュール通りのフライト・バックで帰っちまうんだからな」
 きっと、先生の言葉は正しい。この一瞬々々が、未来を決めているんだろうから。
 変えたいと思った。そして今、動かなくてもいつか終わる時間を拒んだ。不完全な手段だ。彼たちからの矢印と僕からの矢印は、衝突して何か違うものの生成もせず、融け合って中和する訳でもなく、ただ互いを満たす為にすれ違う。最初から分かっていた。それでも、僕は選んだ。信じた。「クエスチョン」は一つの林檎を実らせたし、間違いだとも思っていない。
 だけど、僕一人じゃ現状はあり得なかった。偶見も三上も、僕に道筋を示す灯台だった。僕が求めたからじゃない。彼女たちの方から手を、光を差し伸べてくれたのだ。
 出口はきっと、まだ遠い。だから、一つ一つ、今度は自分で、近い光を求めて進めばいい。
 僕はまだ、ひたすらに明かりを探し続ける、頼りない蛾で構わない。


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