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生きて、いたくても――Nov#25

 今日はもう着る事のない、証拠品となるダウンを、無理やり封印したバッグ。ファスナーは半分で諦めた。ディスペンサーも詰め込んである。言うなれば、作り過ぎたフィリングを誤魔化すみたいに包んだオムレット……僕にあの言い回しは向いていないらしい。
 車内は暖かい。駅舎に着いた僕たちが急いで乗り込むのを確認した後、電車はすぐに扉を閉めた。適当な空席に腰掛けると、無用の長物となった大荷物を足元に置く。
「いやー、疲れたよね。ちょっと早めに解散してよかったかも」
「疲れて当然だよ。特に偶見は、一番燥いでたから」
「そりゃ、復讐は共通認識であれ、共通目的じゃないからね。あたしがやったって意味ない事だし、あたしはただ、とにかく騒ぎまくろうって思ってたから」
「うん、ありがとう。偶見のお陰で、大分振り切れた」
「えっへへ。まあ、その分バレたらマズい気がするけど。……美術部の皆、大丈夫かな」
 実際、僕たちの擾乱がどう受け止められ、どれ程の処分が下るのか、あまり正確な想定は出来ない。確か最初の段階で厳重注意、それが三回で停学だ。一足飛びだってあり得る。
 変装し、基本的には秘密の共有を三人でとどめた僕たちと違って、美術部は本来無関係な協力者を多数用意した。「七五人の招待客」は顔を隠していないし、参加した生徒の一人くらいは、既に学校側が把握していてもおかしくなかった。そこから辿れば、美術部まで行き当たるのも時間の問題に思える。あの部員たちなら中核の正体を喋らないだろうけれど、大元の責任と懲罰はこっち持ちだ。肩代わりして貰う訳にはいかない。
 だから、もし、そうなった時には――
「――もし、そうなった時には、名乗り出ようと思うんだ」
「名乗り出る、って、え、本当に? だって言えないからこそ、始めた訳でしょ?」
「……遂げたからこそ、だよ。僕は、――『いじめ』られてて、」
 初めて自分で、
 それを言葉に、形にした。
「そして、それに対して『復讐』した。……勿論、知られるのは今でも嫌だよ。だけど」
「だけど?」
「……だけど、嫌じゃない事が――知られても誇れる事が、今日、一つだけ出来たから」

 呼び出しから戻った僕たちを、当然だけれど、皆は不安そうな面持ちで迎えた。深刻さの欠片もない僕たちの表情に空気は多少和らいだけれど、確認の様に、新居君が問い掛ける。
「何言われたんですか、先輩。相手、細井先生でしょ?」
「うん、案の定、正体は気づかれた」
「えぇっ? ヤバくないですか?」
「大丈夫……『ちょっといい話』をして、終わりだよ」
「はあ、何ですかそれ」
 全貌を語る事は出来ないから、大まかに流れを説明した。とにかく、細井先生は口を噤んでいてくれる、心配はない、と。それで漸く緊張の糸は完全にほどけた。僕たちは改めて、祝勝会を再開した。
 コンロも余裕が出来始めていたから、僕と新居君、それからもう一人の男子部員である「森の入り口、朝」の阿左見君と男子三人で全員の券を持って、運営テントで受けつけを担当している先生に串と交換して貰い、八人分のトレイを分配して持ち帰る。新居君と阿左見君が僕に一つずつ串を分けてくれると言って、遠慮の気持ちも浮かんだけれど、素直に頷いた。
 女子は三人が、既に尽きていた飲料の買い出しに行った。元々は労力の多そうなそっちを僕たちが引き受けようとしたけれど、偶見始め、倉井さんと、部内唯一の日本画を描く一藤さんも声を揃えて「自分たちで見て選びたい」と主張した。僕は烏龍茶、新居君と阿左見君はコーラと、その大きな括りの中でなら何でもよかったので、僕たちは無事敗訴となった。
 留守番をしていた残り三人の女子と、先に串を焼き始める。きっと買い出し班が戻って来る頃には、いい具合になっている筈だ。何となくあの倉井さんなら、それも見込んだ目論を立てていそうだった。
「そうだね、藍ちゃんなら、考えてそう。私も、そんな気がするなぁ」
「藍ちゃんって、倉井さんの、下の名前だよね」
「はい、藍色と瑠璃色で、倉井藍璃。いい名前ですよね。綺麗だし、……イヴ・クラインを連想しませんか?」単色の作品、とりわけ青に拘ったアーティストだ。
「名前だけならなぁ。ヤンキーみたいな中身だけど」
「あーあ……新居、また怒られるよ……後で言っとこ」
「やめろよ安宅、性格悪いぞ。ぼそっと言うなアホ」
「陰口悪口はいけないぞー。もっと楽しく! ほら、笑って笑って。ニイーって」
「しょうもな、アホしか居ないのかよ」
「あー、何か盛り上がってる! って言うかもう焼いてる! ずるい!」
「アホが増えた……」
 騒いでいる内に、三人が帰って来た。予想していたよりも、かなり大荷物だ。自分たちで見て選んだ結果、何か究極的な事態になったのだろう。全員分の飲料を出しても、まだ膨らんだままの袋が二つ残っている。と思ったら、僕の串代わりにちょっとした食べものも買って来てくれたらしい。三人に感謝を述べて、新居君と阿左見君には串を返上する。
「そうだ、宮下君」
 偶見から回されて来たポリ袋をリレイしながら、三上が小声で、僕を呼ぶ。
「ありがとう。何?」
「屋上での話の、続きなんですけど。私の協力者が誰か、って」
「ああ、うん。教えて貰えるの?」
「ふふ、それは言わなくても、すぐに分かると思います。多分、来週の月曜には」
「……? えっと、」
「あ、焼けましたね。それじゃあ失礼して、頂きます」
 何か思わせ振りな微笑みも、随分見慣れた。どうやら「クエスチョン」には、僕の知らない続きがあるらしい。今は彼女の思惑通り、秘密は煙の向こうに置いておく。
 仲間の歓声、仕切り直して二度目の乾杯。結局僕も、小食の安宅さんから一本貰ってしまった。焼き上がった串の肉が光を浴びて、今日の報酬に相応しくあろうと、滑稽に輝いている。 ――愉しい夜だ。

「……そこまで気持ちが整ってるなら、そのままもう言っちゃうってのはどう? 解決には一番の道だと思うけど」
 心理的に、軽くはなった。今ならそれも好手の一つに思える。
「知られて誇らしい事が出来たのは間違いないけど、積極的に話す気はないし、話したところで、見返りがあるかも分からない。事実が確認出来ないとか、簡単な処分で済むとか。……正直、報復も怖いから。あくまで、バレた時に悪足掻きで道連れ、かな」
「あー、成る程。結果が不確実な訳か」
「他人に委ねる分、ね。序でにもう一つ……ここで自首すると、次がなくなる」三上に示唆されてから、勘定の内だった。「次の『クエスチョン』が。違う?」
「……ふーん、犯行を重ねるんだ。チャレンジャーだね。うん、悪くない」
 そう言って笑う偶見は、企みに満ちて明らかに悪い表情だった。僕よりも彼女の方がどうしようもなさそうだ。
 電車が所定の位置に身を収める。分かれ道だ。時間差で両側のドアーが開いて、人が入れ替わる。車外へ出て一つ呼吸をすると、水で薄めたミント・ソーダみたいな空気が肺に流れ込んだ。上等ではないけれど、新鮮を得る。車両の中で蟠っていた、人肌くらいにぬるんだココアよりはずっといい。
 少しクリアーになった心と脳がこの味に飽きる前に、階段を降りて向こう側のホームに行こうとする彼女を呼び止める。
「そうだ、偶見」
「んー? なにー?」
「突然だけど、行きたい所、決まったんだ」
「ほえ?」
 一瞬首を傾げた後に、得心した表情を浮かべた。あの時に来たメイルの返事を、遅れ馳せながら、ここで伝える。
「――プラネタリウム。一緒に、行ってくれる?」
 偶見は気づいただろうか。それとも、単に僕がそう感じたに過ぎないのだろうか。
 美術準備室、人工の光の下から、夜の校庭に戻った時。
 目の前に広がる星空は、いつもよりずっと綺麗だった。
「興味、ある?」
「うん、楽しそう。あたしも星、結構好きだし。天文部にもちょっかい掛けるし」
「よかった。本当はもっと色々、偶見も楽しめる様に考えてあったんだけど……これはさっき思いついたから、ちょっと、不安だった」
「全然、寧ろいいチョイスじゃない? ……でも、それ以上にさ」
 とくん、と一つ、最初にスウィッチの入る音がして、
 胸の真ん中にある機関が、稼働のスピードを上げ始めた。
「宮下君の行きたい所に、あたしは行きたい」


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