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生きて、いたくても――Sep#2

 

 屋上へと続く扉には南京錠が掛かっているけれど、それを開けるのには、何も番に作られた鍵がなくても、例えば二本の伸ばしたヘアー・ピンがあれば充分だった。
 それを、縦に並列して鍵穴へと差し込む。内部の機構を押さえる。軽く右回しに捻る。
 驚く程に安易で幼稚な方法だ。だけど、その安易で幼稚な方法に対応してくれるだけの粗末さで、この錠は頑健な扉を守っている。昔使っていた、千両箱風の貯金箱に掛かっていたものとよく似ていた。その鍵をなくして、悪足掻きに試した手段が通用してしまうところまで。僕は決して、ピッキングと言う名に相応の行為が出来る訳じゃない。
 もう一度捻る。もう一度。小刻みに何度か続けると、小さな音と手応えに合わせて、弦が本体から分離した。僕はそれを剥ぎ取って、ドアーを開く。左から右へ、空が押し伸ばされて広がった。窮屈な景色は塗り変えられた。

 高校最後の夏休みが終わって、ちょうど二週間になる。九月一四日。社会通念上では秋とは言え、まだ名ばかりでしかない程に暑く、日差しも強い。
 南京錠をポケットに入れて、後ろ手にドアーを閉める。ここはもう僕だけの空間だ。鳩尾くらいまである高さの鉄柵だけが区切る、開放され切った密室。蒼穹に覆われた屋内。この場所の特別な定義は面白くて、僕の気に入っていた。
 屋上と言うのは外でこそあれ「屋外」ではない。扱いとしては、言ってしまえば建造物の一室だ。だから、サムターンがついているのはこちら側、「室内」側のノブ。外部からの侵入を防ぐなどの目的で、サムターンを取り払った、両方に鍵穴のついたものもあるらしいけれど、この学校にそんなセキュリティーはなかった。
 ただ、これが壊れているらしく、ツマミを回しても空転するだけで、閂が連動しない。直す気はなかったのか、この通り低質な金具と適当な南京錠で代用されているけれど、どちらにしろ元々誰も来ないのだし、どんなに脆弱な機構でも、開錠されないのなら同じ事だ。寧ろ「向こう側に掛けられた南京錠」なら、侵入に対する防犯としては優れている。それは元より、閂が正常に動作していたら、僕もここには来られなかった筈だ。
 と言っても、施錠機能が壊れていると言うのは同時に、完全な意味で「僕だけの空間」にならない事でもあり、それは少し僕を不安にさせた。誰も見向きもしないとは思うけれど、今なら誰でも入って来られるのだ。
 その念を肺の底で押し潰す様に一つ深呼吸をすると、校庭とはこの校舎を挟んで反対側、少し陰になった「裏庭」に面する側に立つ。弁当の包みを足元に置くと、欄干に腕を乗せて体重を預けた。
 コの字に並んだ三つの校舎は、中央の縦軸に当たる部分が本館と呼ばれていて、その上辺が一館、下底が二館と続く。その呼称は単純に、それぞれの一、二階に入っている学年に対応したもので、また本館は、職員室や保健室などが揃い、唯一他より一階高い四階まである事からか、それとも中心にあるからなのか、三館とは言われない。
 この三棟に囲まれた空間が校庭で、その反対側には、Iの字になった特別棟がこの本館に寄り添う様に建ち、音楽室や調理室、図書室など普通教室ではない部屋が多く並ぶ。更にその隣が体育館や柔道場、その他運動部の部室などを備えた建物だ。「裏庭」は、本館と特別棟の間にある、ちょっとしたスペイスの事だ。中庭だろうと僕は思う。

 屋上は規則として入ってはいけない上に、何より「入れない」のだから、誰かに見つかるとまずい。だから僕は、校庭側に近づいた事はなかった。怒られるだとか、些細な程度ならどうでもいいけれど、ここがより一層強く封鎖されてしまうと、それが例えば二本のヘアー・ピンでは太刀打ち出来なくなってしまう。
 その点、特別棟や「裏庭」に訪問者は多くないし、特別棟は最上層の三階に生徒指導室や進路指導室、カウンセリング・ルームなどがあって、殆どの人は用件を済ますのが二階までのどこかだ。実質五階であるこちらの屋上、そして僕には気づきもしない。裏庭もほんの時々人影があるくらいで、花壇の世話をしている生徒や校務員の人なんかは定期的に姿を見せるけれど、基本的には下を見ているのでやっぱり認識の外だ。何より校庭側は一館と二館がある上に広いから、この狭い裏庭と比べた時、遠くから発見される危険が大きく違う。仰視されなければ、僕の存在は分からない。

 今年四月の終わり、最初にここへ来た時は、今とは違う意味で、一人の空間が欲しかった。純粋に、避難場所として。
 誰の目にも触れない場所がよかった。絶対的な安寧を求めて、彷徨って、だからこそ、この屋上と言う存在にも意識が行った。見つけた当日は錠に阻まれたものの、逆に言えば錠だったからこそ望みはあって、そして翌日、僕は領地の獲得に成功した。ここなら一切の憂慮もなく昼食を済ませられるし、平穏な時間だって確保出来る。
 そうして通う内に、ここから飛び降りれば死ぬだろうな、なんて考えが頭に浮かび、それは形を変え、ここから飛び降りればいつでも死ねる――それは何も今じゃなくたっていい、一日後、一時間後でもいいのだ――と言う、先延ばし的な精神安定剤になった。いつでも死ねる、と言うのは当時、魔法の呪文だった。決して本当に死ぬ為じゃない。最後の選択を今ある痛苦にぶつけて、比べて、打ち消す為だ。もしも打ち消せなかった時、本当になるだけで。
 だけど、もうその考えは殆ど残っていない。現在では単純に、この小さな世界自体が、僕に安らぎを与えてくれている。僕からの一方的な信頼。ここに存在するのは自分だけで、僕の方から死ななくとも、惨めさや不愉快や苛立ちや、そんな黒々としたものの方が全部死んでくれる世界。仮初めの、夢みたいなものだけれど、それでいい。眠っていられる間は、幸せだ。
 だから、
「ねえ」
 背後からいきなり、
「そこから落ちてもさ」
 そう声を掛けられた時、
「死ねないよ」
 驚きのあまり、そんなつもりもないのに落ちそうになった。


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