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生きて、いたくても――Oct#9

 あれから偶見は不定期に、見た未来を教えてくれた。
「それまであった未来は見た瞬間に失われる」。もし何か僕の役に立つ事があればと、彼女は「未来視」を続けてくれていて、またそれは「未来の更新」でもあった。僕の気持ちが少しでも上方に向かっているなら、決められている現在の未来を更新する事で、新しい未来では、変化が期待出来るかも知れない。そこには千年を計れる砂時計が終わるのを待つみたいな、頼りない祈りの意味があった。
 それ以上に救われているのは、彼女が一人の友人として隣にいてくれる事だった。他愛ない話でもいい。その時間が有意義だ。
 知らない駅で降りてちょっとした食べ歩きをするのが趣味だったり、三年の学年主任で英語の担当を務める「鬼の堀田」の声真似が凄く上手かったり、動画サイトの視聴履歴が洋楽で埋められていたり、両親が離婚していて今は母親と二人暮らしをしている事だったり。偶見の人物像に、ファイルが追加されて行く。連絡先も交換していた。僕は、メイルやメッセイジ、SNSなんかは面倒になってしまい、やりとりが長く続かないけれど。苦手なのだ。
 彼女の「未来視」も、特殊な話題としての側面が強い。誰にも真似出来なくて、現実は今の所必ずその結果に追いついてみせる。先週の「とある音楽ユニットの解散する記事が近々雑誌に出る」と言う予告も的中した。彼女の好きなアーティストらしくてショックを受けていた。眇めて見れば、解散が噂されていたユニットにその時が来て、それが話題性のあるものなら雑誌も取り上げるだろう、と指摘する事も出来る。ただ、後からそうやって言い掛かりをつけるのは簡単でも、予め宣言しておくのは難しいんじゃないか、と僕には思えた。
 つけ加えて、今週の予知は「すぐ近くの市で通り魔的殺人」と言う物騒なものだった。これは流石に先立って宣告出来る内容ではない。この周辺で大きな事件があった話を、僕は生まれてから一度も聞いた事がなく、確かに衝撃的だ。通り魔的、と言うのも怖い。しかもよくよく聞いてみると、僕の住む家からかなり近い場所みたいだった。
「……宮下君なら、どう?」
 その時の言葉は、印象に残っている。
「こう言う未来が分かってたら。何か……アクション起こすとか、する?」
 人が一人、殺されるのが分かっていたら。
 残酷な様だけれど、正直に言ってしまえば無関係な話だし、無関係ながら干渉をする意味も勇気も、義理もない。剰え下手をすれば身を危険に晒し得る。いずれにしても僕たちの半径の外、どうせ起こっていた筈だ。事前にそれを知ろうが、知るまいが。
「……うん。そうだよね。結局、自分じゃどうしようもない、曲げられない、そう進むしかない未来だってあるんだよね。分かってる、としても」
 彼女も、何度かそんな未来を見た経験があるのだろう。誰かの運命を左右する様な事象に出会して、それでいて自分には為す術もない状況。
 手に届くだけの範囲を超えた場所には目を瞑る事、それは偽善だろうか。
そう断定するのなら、きっと偽善と言えてしまう。勿論、偶見だけの力でどうにかなる事ばかりじゃない。だけど、彼女は見た未来に対して強制的に選択権を与えられるのだ。
 それでも、と思う。
 未来は既に、自分によって決められている。進路、影響、反動、結果、そのどれもが他人に押しつける事の出来ない各個のものだ。それが翼であれ、足枷であれ。本来なら、偶見が気負うべきものじゃない。
 だからこそきっと僕は、せめて与えられた僕だけは、踏み出すべきなのだ。人生に於いての不正解を事前に取り消すチャンス、足枷を外して、翼を手に入れるチャンスを。

 現在進行形、ニュース番組で報道されている一つの事件。一〇月一〇日、土曜日のよく晴れた朝に、「未来視」の答え合わせを聞いた。覚えのある市の名前が耳に入って、慌てて視線を向ける。一度、心臓が跳ねた。
 昨夜、二二時頃。地元では有名なショッピング・センターの横にある、狭い路地。営業時間外でショッピング・センター内を通り抜け出来ない時に、迂回せず建物の向こう側へ行こうとするなら、あの路地が一番早い。馴染みはないけれど、知っている場所だ。
「相坂雄一さん、四三歳」。僕の中を通っても全く引っ掛かる事のない筈のその名前が、心臓の、知らない部分の筋肉を、薄く切り落とす様に痛めつけた。
 変わらなかった未来だった。


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