世界的隣人愛(掌編/短編)

 一三歳の誕生日から、半年が経ったの。ここから半年すれば、誕生日とも言えるんだけど。
 私はずっと守られて来たわ。両親がどんな人かも覚えていない頃に引き取られて、今もこの広いひろぉい建物に、優しくて妙な大人たちと住み続けている。物心がつくと、私はようやく尋ねたの。
「私はどうして、あなたたちもでしょうけど、外に出てはいけないの?」
「至って簡単さ。危ないから、出てはいけないんだ。そう。我々もね」
「外には何があるの?」
「ゾンビだよ。知っているかい?」
「あら、シャール、あなた赤ずきんの狼みたいね。ゾンビですって?」
「本当なのさ。僕が君を飲み込んだ事があったかな?」
 背が高く、胡散くさくて、私に最も親しくしてくれる青年はそんな事を言った。
 一度、外の映像を見たわ。私たちとは明らかに容姿の違う大勢の者たちが、狂ったみたいに絶叫を上げながら扉を叩くの。隔離の為の扉よ。皆痩せこけて、肌の色も真っ白だったり、不気味な黄色掛かっていたり。ゾンビだなんて、嘘っぱち。そう思っていたのに。
「クロナ、いけない子。何をこっそりしているのかと思ったら、見てしまったのね?」
「シャールが言ったのよ。『ゾンビ』が居るんだって。私だけが信じていなかったに違いないわ。だってここ、研究所でしょう?」
 潔癖そうな白い壁、冷たい床。あまり出歩いた事はないけど、長く伸びた通路の左右には海老の足みたいに部屋が並び、どこを覗いても何かしらの書類や、器具、薬剤なんかの色々が大層にぎゅう詰めされている。
「……そうよ。私たちは立てこもると共に、治療の研究をしているの」
「進んでいないみたいね、ゼペット?」
「当たり、いつだってタダタカ・イノーの気分よ」
「誰かは聞かないでおこうかしら。ゼペットの話は長いから」
「私はペダンティックかしら?」
「少なくとも、シェイクスピアよりはね」
「ふふ、言うじゃない。研究だけは骨折り損にならない様に気をつけるわ」
 ほぅら、見なさい。例えばあなたは一々、絵本の読み聞かせに注釈を挟むタイプでしょう?
 人を騙すのが上手いんだから。ゼペットには訊かないわ。
 だって、理由があるに決まっているもの。
 
     x x x
 
「どうして私だけを保護したの?」
 研究所には、五人と私が居る。シャールとゼペット、それにオロスコ所長、ベイカー、サリンジャー。逆に言えば、たった五人の研究機関。私でも分かるのよ、おおきなかぶを引き抜くには、人手が足りないわ。私は最後の鼠にすらならない筈だもの。
「いいかね、クロナ」オロスコ所長の口振りは、喜劇役者よりもよっぽど滑稽。見た事はないけどね。「〈ゾンビと言う現象〉はこの街から始まったのだよ。君はその渦中にある爆心地で生を受けた、最も稀有な存在なのだ」
「私には〈お友達〉が居ないわ。歳の離れた〈兄〉と〈姉〉ばかりでしょう? この街に子供は居ないの?」
「……言わなくてはならないかね?」
 勿体振った回りくどい台詞、彼こそゾンビ映画に相応しいわ。
「私、クロナがどれだけ『外に出るな』って言いつけを守って来たと思っているの?」
「うむ、間違いがないな。ただ私は、覚悟があるかね? と訊いているのだ」
「知を求めるのは、イヴから続いて来た遺伝よ」
「……。〈現象〉はだな。君の父母が始まりだ」
 深刻そうにして、彼の言葉は、別に私の心をこれっぽっちも動かさなかった。覚悟なんて、大それた言葉で試そうとした風な。だって、覚えていないんだもの。
「我々は、君が『ゾンビ』と認識しているものを〈癌〉と呼んでいるんだ。癌細胞は死なず、増殖し、挙句に転移する。最初の犠牲者だ、君の父母は真っ先に〈現象〉に侵された。そして我々は、君を保護した」
「じゃあ、私のお父さん、お母さんは?」
「……初めに、銃で撃たれた。頭、つまり脳に三発だ。警官たちも、エンターテインメントの中で通用するゾンビの対処は知っていたんだ。が、彼たちは平気だった。残念な事だ、最後まで〈癌〉と立ち向かった勇敢な戦士たちは同胞と化し、そこから広がったのだよ。クロナ、君の父母は今もどこかを彷徨い、まだ言葉も分からない君が一人、家に残されていた。我々は調査隊として、決死の覚悟で病の市中に飛び込み、始まりの場所で君を見つけた」
「育ての親ね、ありがとう」
「現在、この街は封鎖されている。少人数なのにも理由があるのだな。我々は最もサンプルに近い場所で、閉じこもりながら研究をしている訳だよ。……はっきり言えば、君はまた違った意味で、重要なサンプルなのだ。定期検査を受けるだろう?」
 蔓延する〈癌化〉の発端となった両親、その間に生まれた私。解決の糸口を、私からも探そうとしている。
 知らなくていい事だったかも知れん、君までイヴと同じ間違いを犯す必要はない。口ひげを蓄えた彼の口から、哀れみを聞くのは嫌だった。
「分かるだろうか? ここも含めて幾つかの街は、それぞれが〈世界で一番大きな動物園〉を作っただけなのだよ。ギネス・ブックには載らないだろうが」
「『隔離』は成功しているのね?」
「その通りだ、クロナ。我々も含めてな」
「つまり、ここは安全なのね」
「勿論だとも。何と素晴らしい規模のデコンタミネイションだろうか。〈癌〉どころか、巧妙な盗賊が出入りした事もなければ、現に、外と研究所の間では、互いに一切の影響がない。要塞だよ」
「私からいいものは採れた?」
「いいや、一〇〇回検査をやれば一〇〇回が、二〇〇回やれば二〇〇回が全て、目新しいものの発見を拒んだね」
「そう。……私は至って普通なのね。不謹慎かも知れないけど、ほっとしたわ」
「但し、検査はこれからも続くぞ。危険の回避も兼ねてな」
「大丈夫よ」どうせ私は、この生活しか知らないんだもの。「ご武運を」
 
     x x x
 
 〈ベイカーの日記〉
 
 最初に小さな光を手にしてから四箇月が経った。また、一日が経った。
 努力は遂に結実した。後は実用するだけ、生きた〈癌〉に投与するだけの段階となった。
 その日初めて、研究所の入り口が二人の〈癌〉によって開かれた。
 
     x x x
 
〈緊急:オロスコ研究所より〉
 
 私がこのメッセイジを送り終えたなら、研究所に人の姿はないだろう。クロナ、あの純粋な少女も含めて。
 手段は何だって構わない。オロスコ研究所の保管庫まで、レポートと薬を取りに来てくれ。今すぐにだ。
 完成させた。奴たちを、まるで肉塊が黒く膨れ上がった様な恐ろしい怪物を懲らしめる、世界に一度、平和をもたらす為の薬だ。悲しい報告があるとすれば、〈癌化〉を治すものではなく、〈癌〉を殺すもの、と言う点だが。
 シャール・ソックスレイ、ゼペット・クーゲルロール、エヴァ・ベイカー、そしてリービッヒ・サリンジャー。私の同士たちは誰一人としてもう居ない。長きに渡りよくぞここまで、醜い容貌になってまでも私について来てくれた。後は私だけなのだ。
 諸君、もう安全だ。どうか、遺志を継いで欲しい。さようならだ。
 カラム・オロスコ
 
     x x x
 
 ――私についてのお話を読んだ事があるの。難しい単語だらけで分からない部分が大半だったけど、冒頭だけはよく覚えているのよ。
 
「とある少女の話をしよう。
 現在一三歳のクロナは、七月一〇日、かに座として生まれた。」


 ■

 この物語は、私が夢で見た私の中だけの実話です。