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生きて、いたくても――Nov#27

「あちゃー」隣から、小さな嘆きが漏れ聞こえた。「ちょっと甘く見てたか」
 プラネタリウム施設への入場は投影一〇分前から始まる、と言う情報は知っていたけれど、まだそれよりも五分早い段階で、既に待機する人たちが長い列を形成していた。と言うより僕はそもそも、プラネタリウムがこれ程の集客力を持っている事さえ知らなかった。
 二三日、勤労感謝の日。文化祭、及び「復讐」が行われた今月最初の祝日から、もう二〇日も経った。気づけば陽光は躊躇いがちになり、木々の葉もそこから思い思いの色を選び取っている。一度校内新聞で掘り起こされた騒動は未解決のまま進展していないらしく、再度沈静化して、目立つ動きは見られなくなった。諦めた、と形容していい状態だ。
 何度も見直し、調整を加え、「第二回」の計画は決定版になった。全体像が確かになってからは偶見と三上にも参加して貰い、議論を重ねて来た。今日はこのプラネタリウムもそうだけれど、前回と同じく、必要なものを買い揃える用事も兼ねている。
「別に、入れない訳じゃないんだから」
「そうだけどさ……仕方ない、ショップは後にして、もう並ぼっか。いい?」
「うん、どうせ入場もすぐだし」
 プログラムには複数の種類がある。僕たちが見ようと思っているのは、投影時間が一二時と一四時、最終が一六時だった。
 プラネタリウムは、開館する一〇時から全プログラム分の入場券が販売されている。売り切れたら終わりだ。時間の自由な買いものは後にして、こちらに来た。偶見が紹介してくれた店でランチ・セットを食べ、一三時に科学館へ到着すると、既に次の回は三〇〇ある席も残数が三〇足らずだった。券こそ駆け込みでも上映はまだ先で、時間を持て余した僕たちは科学館の展示を見て回っていた。
「……前も後ろもカップルだらけだ。やっぱうってつけなのかな」
「魅力はあるだろうね。現実には、中々お目に掛かれないものだし」
「いや、えっとね、……この鈍感」
「何?」
「あ、列動いた」
 人の後ろに続いて、扉をくぐる。会場は円形のホールで中心に投影機があり、スクリーンとステイジを前として扇形に座席が配置されている。結局入場券は売り切れ、残席がゼロで余裕はないから、列の中央まで詰めて座る。指定席の概念はない、いい位置を取りたいなら早い者勝ちだ。観覧仕様の椅子だけあって、体重を掛けると背凭れが簡単に沈み、かなり深いリクライニングになった。
「座席、こんな感じなんだねー。あたしが行った事あるのって、……同心円状って言えばいいのかな、中心を囲む様にぐるっと並んでてさ。北側に座るのがミソだ、って教えられてて」
「そうなんだ……逆に僕は、ここしか来た事ないから、この形しか知らない。小学生の時の話だけど。僕も、来る前は、円く並んでるものだと思ってた」
「えっ、来た事あるなら会場前から並ぶよーって教えてよ」
「覚えてたら、ちゃんと言ってるよ。偶見こそ、それくらい『未来視』で分か……」そこでふと気づく。「あれ、最近、偶見から『未来』の話を聞いてない気がするけど」
「うん、全然『視て』ないもん」
「やめたの? 何で?」
「……。だってさ、宮下君と何かする時って、結果がどうあれ、いつも楽しいから。勿体ないんだよね、追体験になっちゃうの」……。思わず、口籠る。「純粋に楽しみたい。ふいに使って、未来にある宮下君との出来事が『視え』ちゃってもつまんないし。だから、暫く封印」
 ちょうどその時、照明がゆっくりと溶暗を始めた。ああ、何でこのタイミングで。意識が鋭敏になって、彼女が隣に居る事を、強く感じる。
 スクリーンの写す映像も、注意書きから景観へと変わって行った。座席と対面するステイジ側には、辺り一帯で有名な建造物が目を引く街並みの再現。そこから頭上を越え、後方まで覆い被さる空が一面。それではプログラムを始めます――の声。振り切る様に、耳を傾ける。
〈今は一四時ですが、少し時間を進めてみましょう。太陽が傾いて来て、本日の日の入り、一六時四八分。ご覧の通り私は、時間を自由に操る事が出来ます。若さの秘訣です〉学芸員の男性が展開するライヴ形式の語りに、周囲から小さく笑いが漏れた。〈そこからすっかり夜になりまして、ただ今二〇時です。ご来場頂いた皆さんだけが、先に本日の二〇時に居ます〉
 オリオン座などの主要なものこそ見えてはいるけれど、全体として色が薄い星空だ。星の光はとても弱く、月や街の明かりでも目立たなくなり、掻き消されてしまう。実況する声も、今それを告げている所だ。
〈街の方に、電気を消して貰いましょう。さあ、これで少し見やすくなったでしょうか。でも実は、月明かりでも霞んでしまうくらい、星の光と言うのは弱いものなのですね。ですから、星を観る時は新月や三日月くらいの時がお薦めです。今回は……私はアポロ一一号のアームストロング船長と知り合いですから、彼に掛け合って、月にも節電して貰いましょう〉
 暗闇の中に、月光がフェイド・アウトして行く。
〈彼は月にとって初めての友人でした。よき理解者でもあったでしょう。帰還した彼はスターとなりましたが、それから四三年後、今度は本当の星になった。彼はまた、月へと会いに行ったのです〉中々の名文句だ。寂しがる様な光の余韻を残して、月が全て消えた。
〈さて、今見えているのは星だけになりましたが、先程も言いました通り、星の光はとても弱いものです。ここで一度、より星を堪能出来る様に、暗闇に目を慣らしましょう。皆さん、目を閉じて下さい。一〇秒程あればいいでしょう。私が合図しますから、その時に目を開けて下さい。では、目を閉じて……〉
 指示に従って、視界から一度全ての光を追い出す。音と、実感だけがある。暗がり、隣の息遣い。カウントダウンが始まって、五から四、そして、三、二、一――
 ――嘆声が上がる。場内から、一斉に。その中には僕も、そしてきっと、偶見も。
 号令と共に目を開けると、握った砂をぶち撒けた様な、満天の星があった。
 通常、肉眼で視認出来ない光が、星座の判別を困難にするくらい、数多、旗を掲げて立つ。現実ではあり得ないけれど、嘘でもない。真実は、ただ圧倒的だった。
 勿論、本当に目が慣れたからじゃない。目を瞑っている間に映像を変えて行く為の誘導と、巧みな演出だ。それでも、鮮やかなイリュージョンはそんな無粋な見方を呑み込んで、最大限の効果を等しく与えた。
 実況は続く。プログラムとしてはまだ開始地点に過ぎないのだ。無数の光を見つめ、僕も偶見も、言葉を交わさない。互いに、喉で堰き止められて翻訳されずにいる感動は、そのままでも充分伝わっていたから。

「……あたしさ」四〇分のプログラムが終わって、観客は席を立ち始める。列の中程に居るからすぐには出られないし、急がなくていい。変な緊張感と、二人だけを包む静寂。僕は様子を窺い、偶見は先手を選んだ。「プラネタリウムってものを知らなかったみたい」
「僕も……小学生の頃のを覚えてなくて、却ってよかったみたいだ」
「ねえ、宮下君」
 人が捌けて来て、僕たちも立ち上がる。
「何?」
「次、あたしの番でいいよね? 行きたい所」
「え? 別に……順番とかじゃなくて、行きたい所があるなら、つき合うけど」
「じゃあ」その語気が、幾分か強い。「本物、見に行こう」
「本物、って、本物の星空、だよね」
「そう。あのね、あたし調べたんだけど、今年のふたご座流星群って、前後一〇年ずつの中でも一番観測条件がいいんだって。だからさ。行こうよ」
 魅力的な提案だし異論もないから、僕は頷く。確かに一つの思い出以上に、何か触発されたり興味を持ったりしても全く不思議のない内容だった。だけどそこまで調べて来ているのだから、元々持ち掛ける心算だったのだろう。
 人の波に入り込んで、出口に向かう。以前稼働していた投影機が展示されている横を通り、少し暗い通路を進む。区切られた反対の、さっき僕たちが並んでいた側には、既に次回の上映を待っている列が出来ていた。
「だから今、観測スポット探してるんだけどね。これが見つからなくて」
「街の光がない場所、か」
「それで以て近場、かな。あんまり遠くだとお金とか、必要なものを持って行くのにも大変だし、帰りの手段もなくなっちゃうし。それに平日だしね」
 一二月一五日、午前三時。この時間帯が流星を最も観測出来る「極大」らしいけれど、平日の、それもかなり遅い時間になってしまう。よく知られた星の名所に列挙される様な場所となると、人里離れた村や山、島などに絞られる。この周辺一帯ではそこまでの条件が揃わないのだ。天文的な観測条件は最高でも、地理的な問題は僕たちに優しいとは言えない。
「まあ、その辺の打ち合わせはまたやるとして、行くのは決定でいい?」
「勿論、僕の方でも、ちょっと調べておくよ」
「おっけー、ありがと。それじゃあ、もう一つ宿題」
「宿題?」
「決まってるじゃん、流れ星と言えば――」
 偶見が振り返って、それが本当の目的、一番の肝要だと言う様に続ける。
「――願い事、だよ」


(一一月 了)


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