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生きて、いたくても――Dec#31

 偶見の言う「知り合いの部活にちょっかい掛け部」は、ミステリー研究部にも及んでいた様だった。ここに仕掛けたのも彼女なんだろう。僕たちはすんなりと、部活中の室内に入る。
 角倉に絡まれた事で僕の方が少し遅れ、待ち侘びたと言う様態の偶見に現況を説明しつつ、夢の歩数を重ねて行った。その間三回、どこか遠くで、クラッカーらしい音が聞こえた。
「じゃあ、自分の目で確かめられたんだ。今回の『目的』」
「運よく、ね。思った以上に、好調みたいだ」
 元々が幾つ用意してあったのか判断出来ないけれど、資料室の「欠片」は残数が一つしかなかった。人目が気にならず、入りやすいのも関係しているだろうか。律儀に残された――もっといい景品があるのか、ルールに準じた人たちからはいつも置いてけ堀を食らっている――駄菓子を収得して、次の場所へ向かった。本来ならミステリー研究部から一館資料室、そして自転車置き場の順で回った方が効率はいいけれど、従順を守る。
「やっほー、お邪魔しまーす。あれ? 今日は人居ないんだね」
「ああ、君か。今日はちょっと特別編でね、いつもの活動はしていないよ」
 部室にたった一人だけで居た、白衣を羽織った女子生徒が応答する。薄い縁の眼鏡と相俟って、理化学系の部活に見えた。妙な存在感だけれど、あの白衣はいつからか歴代の部長に引き継がれている重要品だそうだ。白衣とミステリーの関連も分からないし、そんなに歴史がある部活にもあまり思えなかった。始めた人は、所謂理系ミステリィが好きだったんだろうか。
「あれ、よしのん。こっち、宮下君」
「ふむ、紹介とは思えないね。初めまして、部長の芳野です。うちは正式な部員でなくとも、飛び入り参加を歓迎している部ですから、どうぞお気軽に。彼女の様にね」
「えっと、どうも。宮下です、宜しく」
「とは言っても、今日はこの通り。ちょっと別件でね」
「あたしも今日は別件なんだよね。これ、知ってる?」偶見が僕の手紙を示すと、白衣の彼女がその含み笑いを崩さないまま、目の色を変えた。
「ああ、好都合だ。今日はその謎を解いているんだよ。少し見せて貰えないか?」
「え、これ? 何か分かるの?」
「いや、正直な話、デイタが全て揃うまでは憶測でしかないよ。全てが揃っても、推理でしかないけれどね。手紙の内容を見たら、全部で七五通あると言うから一苦労だ」
 渡した手紙を見て、早速ノートと見比べている。勿論手紙の数は前回、そしてその大元であるハプニングを意識しているけれど、この学校の在籍生徒数がほぼ七五〇人で、バランスがいいと言うのも小さな理由だった。
「変な事やってるんだね。今何通目?」
「これが被りでなければ五七だね」
「五七! 四分の三じゃん!」
「部員が走り回って、デイタが手に入ったらメイルを送って貰っているんだ。私もさっきまでそうしていた。けれど今は纏め役、兼休憩だね……うん、未回収情報だ」
 一人だったのはそう言う訳か。閑散としているから、廃部寸前なのかと思った。
 偶見から話を聞くと、驚いた事にミステリー関連の部活にも全国から集まる様な大会があるらしく、運営や、時には第一線で活躍する推理作家などが用意した謎の解明を競ったりすると言う。秋の大会で、彼女はまだ一年にも関わらず選手に抜擢され、更に部を優勝に導く程の貢献をして部長の座に就いた、そんな経歴を持っていた。事実なのだろうけれど、何だか出来過ぎた話だ。この学校が部活の大会で優勝したなんて話も初耳だった。
「だからさ、もしかしたら本当に、何か突き止めちゃうんじゃないかって」
「無理じゃないかな、流石に」出題者として、問題自体が不成立だと思う。
「現時点でも、分かっている事はあるんだ。シールの色だけれど、特定のものしか使われていないみたいだね。水色や紺色なんかの微妙な色はあるのに、この手のシールに基礎的なタイプの緑や白、つまり中性色と呼ばれる色が全くない。暖色と寒色に絞っている」
 ……成る程、正解だ。観察すれば適切な着地点かも知れないけれど、それだけでも少し脈拍が早くなる。とは言えこれを謎と認識しようものなら、問題なのはここから先だ。
「……ここから先だ、問題なのは。七五通揃えてみないと断定が出来ないけれど、今の所このシールの列は殆ど全てパターンが違う。枚数も一枚から一〇枚と幅も広い。ただ、殆どと言ったのは、三通だけ同じパターンがあってね。一列目に暖・暖・寒・暖・暖、二列目に暖・暖で七枚のシール。他に同じパターンはない」
 あまりの不意打ちに絶句する。部活全体の行動力にも感嘆すべきだけれど、まさかその別異を持った三通が既に特定されているとは予想だにしなかった。
「それから、一枚のシールだけが貼られた手紙を二通、二枚を三通、三枚を八通まで確認している。ここがおかしいね。暖色と寒色、二種類の組み合わせとして、四通あるべき二枚が一つ欠けているんだ――暖・暖のパターンがね。確認出来ていないだけかも知れないけれど」
 偶見も唖然として、こちらに視線を送って来る。僕も頭が真っ白になっていた。そもそも、ヒントすら何もないのに。胡乱だった肩書に、見る見る真実味が増して行く。
「同じパターンの三通は、二通を被りとして除外。すると総数は七三。シールは二種類が、一枚から一〇枚まで変動する。暖・暖のパターンはない。他にも諸々を考慮すると……勿論これは憶測だけれど、ここから導き出される法則は」その表情は変わらない。ただ、口角を僅かに上げたまま、淡々と言い放つ。「モールス信号、だね」
 とどめの一言は、最早痛打でも激震でもなく、ただ呆然とする僕の中を透過して行っただけだった。
 暖色と寒色には別名があって、それぞれ進出色と後退色と呼ばれている。同じ距離感でも、暖色は手前に、寒色は奥まって見える事が由来だ。それで伸びのある寒色を長音、反対に暖色を短音に見立てた、モールス信号の文字を手紙に貼付した。
 通常のカナに「ヰ」と「ヱ」を合わせた四八文字の清音と、濁音、半濁音の二五音を合わせた、計七三音。暖色二つのパターンがないのは、モールス信号では短音二つが濁点に充てられていて、濁点は単独では存在し得ない記号だからだ。
「そして、何故か三つあるのが『ド』と言う文字で、それを持っていた人は三年の同じクラスの男子。多分偶然じゃないから、選んで置いているだろうね。ただ、分かっているのはそこまでだよ。その三人と『ド』を重ねた意味が、例の『目的』とやらに関係する筈だけれど……まさか、『ド』が三つで道産子と言いたい訳ではないだろうね」
「うわ、よしのんも冗談言うんだ」
「可能性の一つだよ。現代に於ける『机「9」文字事件』の類例かも知れない。もしもそうなら、却って興味深いのにね」
 軽く流したけれど、尋常じゃない。その上今得た結果xだけで一つの式に存在するyとzに正答を当て嵌めてしまえるのなら、それは推理ではなく超能力だ。
 今回、相手を三人に絞って送りつけた「ド」の文字は、それだけでは成立しない。彼たちが手紙の内容通りに「夢の欠片」を、そして今回最も多く用意した小さな菓子類の中でも、暖・暖・暖・寒――つまり「ク」――のシールを貼ったものを口にした時、未必の故意の様な毒殺を成就する仕組みだ。手紙と菓子の両方、それに僕の「復讐」と言う材料が揃っていないと意味が通じない。だけどもし、「夢の欠片」まで調べていたとしたら、芳野さんなら気づくだろう。不自然なくらいに多い「ク」の文字に。情報の全てを関連づければ、「目的」まで到達するのも難しくなかった筈だ。
「……凄い、そこまで分かっちゃうんだ」
「答え合わせは出来ないけれどね。でも、単に手紙を取り違えない為、或いは識別番号的なサインならもっと簡単で目立たない方法はあるし、シールが主張したい意味を持っている事は明白だ。もしかしたら、覚えのある相手にだけは分かる暗号なのかも知れないね。……それでもやっぱり、悔しいな。ここまで分かっていると、寧ろ生殺しだ。他の部分にも謎が多くて、まだ解けないでいる」
「他の部分?」
「その手紙の五番目、最後の場所には、必ずクラッカーが用意されている。そのクラッカーが少し加工されていて、鳴らすとメッセイジ・カードが飛ぶ仕掛けになっていてね。『あなたの夢は覚めました。あなたの夢の色は――』と言う内容で、夢の色は一人三色なんだけれど、その法則性が全く分からない」
 それは当然の事だ。法則らしい法則が、そこにはないから。
 芳野さんの説明した通り、クラッカーには細工をしてある。蓋の部分と同じ大きさに、二箇所に「耳」を少し作った紙を丸く切り、蓋に丸い紙を合わせたら、耳の部分を本体に糊づけする。それから耳を繋がっているかどうかくらいの限界近くまで切れば、クラッカーを鳴らす時の衝撃で丸い部分だけが飛ぶ。そんな仕組みだ。
 紙には予めメッセイジを書いてあって、「あなたの夢は覚めました。あなたの夢の色は」と言う文章と、その下で見本の様に並ぶ色の円形が三つ。これは形式上と言うか一つのアトラクションであって、全く意味はない。本当に意味があるのはクラッカーの方だ。
 今までの仕打ちを「夢」と見做して、現実にはなかった事にする。そして僕の「毒殺」も夢の中で起こった事件として、目が覚めた瞬間嘘に出来る。クラッカーを目覚ましに、「負」が招いた何もかもを忘れて水に流す、それこそ「着色された夢の構造」が持つ真の構造だ。先生は知っていて、だから僕も夢の中に引き入れたのだろう。
「そう、そのクラッカーなんだけどね」偶見が尋ねる。「裏庭で何回鳴ったかって、覚えてたりしない?」
「ん? 裏庭でか? ……。随分と狭い範囲に拘るね。何かあると見た。どうかな?」
「あっ? あー……えっ、と……あはは」
「ふふ、ボロを出したね? 『スプリー・スリー』の内、二人も判明した訳か」
「やっ、違うよ、宮下君はね、偶然連れて来ただけで、」
「これ以上言葉を重ねない事だね。その発言、君は一員であると認めているよ」
「うわぁ。今の見た? 宮下君」偶見がこちらに顔を向ける。「あたし、馬鹿だ」
「何やってるの、偶見……」
「おや、今の情報を聞いても、特に驚きはないみたいですね」
「……。……えっ?」まずい。咄嗟に反応出来なかった。
「ふむ、どうやらあなたも中核ですか。あなたは報道部ではない、とすれば、『スプリー・スリー』か、『セヴンティーファイヴ・インヴィティーズ』か」
「よし! この話をやめよう!」
「いや、情報交換をしよう。『クエスチョン』の解決編と、クラッカーが裏庭で何回鳴ったかの。有益だろう?」
「やだよ、よしのんだって走り回ってたんでしょ! ずっとここに居た訳じゃない、つまり何回鳴ったか正確には答えられない!」
「ふふ、名推理だけれどね、それに気づけるなら最初から訊かなければよかったんだ」
 完全にやり込められていた。三十六計、何とやらだ。
「偶見、撤退しようか。三上はずっと美術室に居てくれてるって話だから」
「えっ! 聞いてない! じゃ、じゃあねよしのん!」
「告げ口したりなどしないのにな。仕方ない、君たちが残して行く景品で手を打とう」
 さっき手紙を渡した時に中身も検めたのだろう。椅子の座面裏と脚部を構成するパイプの間に挟み込んであったそれを抜き出した。
 ああ、ここにあったのか。
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