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生きて、いたくても――Dec#32

「夢から覚めたのは、まだ一人ですね」
 三上は絵筆を握りながら、その音を聞いていた。美術室からは廊下を挟んだ向こう側になるけれど、裏庭は三つだけを仕掛けて、判別の為、他はその周辺を含めても配置していない。三上が確かめに部屋を出て窓から見下ろすと、クラッカーを隠してあったベンチの傍らで、仲間と騒ぐ川成の姿があった。ほんの数分前だった。
「ありがとう。留守番みたいな役割させて、ごめん」
「気にしないで下さい。自分の企画なら、自分で成果を見たいでしょう?」
 美術室には、新しい「クエスチョン」に対する動向を視察し終えた部員たちが何人か先に集まっていて、めいめいに話を弾ませていた。概ね好評と言うか、面白がられているみたいだ。
 三上から最低限の報告を密談の様に聞くと、僕も全体の輪に入った。
「何、宮下先輩も参加してるの?」
 倉井さんが、教室の隅に座る細井先生を絶妙な表情で一瞥すると、先生も顔を向けて器用に片方の眉を上げる。ビブロス文字とクレタ聖刻文字でする文通みたいなやり取りだ。傍からは全く読み取れない。先生が協力者を引き受けた事は、部内では公然の秘密みたいな扱いになっている。
「じゃあ宮下先輩、終わらせて来た所ですか?」
「五番目は、まだ。収穫も、このあり様で」
「でも、結構進めてますよね。阿左見は何してんだろうね。終わってないの?」
「あ、アイツ人の手紙パクったんですよ。さっき俺に電話寄越して来て、ちょっとサクラやって来るわーって、真っ先にクラッカー鳴らしに。広場の。聞きました?」
「ああ、あれ、阿左見君だったんだ」
 僕が一番に聞いただけで、本当の初発だったかは分からないけれど、それでも確かにかなり早い段階だった。導入になってくれた訳だ。
「だから多分、クラッカー鳴らした後で、もの集めやってますよ。めちゃくちゃじゃないですか? 絶対コンセプト分かってないですよ、アイツ」
「いいじゃん、夢って感じで」
「まあめちゃくちゃだけどよ……阿佐見の出て来る夢なんか見たくねえな」
「あー分かる。あたしが可哀想になる」
「そこまで言ったら阿佐見の方が可哀想だろ……」
 その時、弾ける様な音がまた一つ開放される。最早馴染んだと言う雰囲気の部屋で、僕たち三人だけが互いに感じる事の出来る、尖った気配が小さな穴を開けた。裏庭だ。三上が自然な動作で立ち上がるのを横目にして、僕たちは二人で三つ分の小穴を隠す様に話を続けようとする。と、ちょうど三上と入れ替わりで阿左見君が入って来た。いい転換になってくれて、密かに安堵する。
「おーっす。危ない所だったわ、ははっ。今さ、先生たちが手紙と『欠片』の回収してるぜ。中身見て必死に探し回ってやんの。はいこれ、俺の手紙ん所と、仕掛けたの覚えてる所にあった奴全部持って来た」空いている机に、幾つか宝の交ざった七等賞の山が築かれる。
「あ? マジ? 結構大事になったな」
 新居君は大事どころかまるで他人事の口振りで、お菓子を一つ手に取る。元々の胆力に重ねて前回の経験もあるからか、臆する様子がない。阿左見君も平然としている。先生と言う共犯を得てホーム・ルーム中に仕掛けを行ったアリバイみたいなものもあるとは言え、危機感を持つべき展開にはなっていると思う。始めた僕が言える事じゃないけれど。
「うーん、マズいかな?」
「外部絡みじゃなくて、学内だけの問題だって言うのも明確にはなったから、同時に扱いにも上限が出来ると思う」
「でも、学校で宝探しを開催して退学なんてなったら、今世紀最大のジョークだよね。心配なら『視て』みる? 何か大きな問題なら、多分引っ掛かると思うから」
「……、それは、やめておこう。今更どうこう出来る未来でもないと思うし、それに……」
「それに?」
 思い浮かべる、彼女が未来を見なくなった理由。……耳朶が熱くなった。「いや、その」
「宮下君」舌頭の怪しくなる前に戻って来た三上が、呼び掛けて手招きをする。「ちょっと、こちらへ」
 出て行った時と同じ、違和感のない所作で椅子に座る。側辺にあった椅子を引いて僕も腰掛けると、彼女は小声で話し始めた。
 残りの対象は二人一緒に現れて、一人がクラッカーを鳴らしました。三上の報告は、それにとどまった。鳴らしたのは毛利、角倉は彼と共に裏庭へ来て、それだけだった。毛利が鳴らすのを見てはいたけれど、自分は探そうともしなかった。
 状況が理解出来ない。角倉は確かに手紙を追っていた。何故そこまで行って、完遂しなかったのか。至る所でクラッカーが鳴っていたから、単にオチが分かり切っていて触らなかったとか、特に意味はない可能性もある……けれど、どうも腑には落ちない。
 思い通りに進まない見込みだってあった。前回とは違って、向こうから積極的に踊って貰わなければ成功しない。それは当初から、眼前にあった問題だ。
 具体案はない。だけど、だから、次のステップが必要になる。

 終尾まで前回同様、権力の介入によって第二回目の事態も収束しつつあった。まだ幾らか奔走しているらしい先生たちを後目に、クラッカーを二つ拾集する。自転車置き場と、裏庭。確かに一つだけ、そのままで残されていた。
「宮下君は鳴らさないの?」
「うん。この状況で鳴らすと、厄介そうだし」
「それもそっか。……でも、何かあるんならさ、ちゃんと教えてよ?」
 角倉だけが未遂で、また彼のクラッカーだけを別して回収したからなのか、胸中を察知されたらしかった。
「まだ、これと言って決まった事を考えてる訳じゃないから。だけど、何をしようとするにしても、成功する方がいい。だから、これを一つ、願いとして持って行こうと思う」
「あ、考えてくれてたんだ。でもさ、本当に場所がないんだよね」
 インターネットで検索しても、有名なスポットでなければ「付近に光源がなく、空を遮られないで広く見渡せる場所」と言う具合で、曖昧にしか書かれていない。結局は地域や環境など色々な要素が絡んで来る、ケイス・バイ・ケイスと結論づけられてしまう。
 でも僕には一つ、心当たりがあった。光源がないと言う程ではなくとも、あの辺りなら大分離れている。樹木や建造物も視界の邪魔にはならない。「本当?」と偶見は喜んでくれたけれど、ただ一つ問題があるとすれば、彼女には結構な負担を掛けてしまう。
「いいよ、全然。そりゃどんな条件かにもよるけどさ、あたしから持ち出した話だし。それに宮下君ってさ、本当に大きい負担を人に掛ける提案、口にしたりしないでしょ」
「どう、かな。まあ、これはあくまで候補地の一つとして、聞いておいて。……一応、偶見も知ってる場所なんだけど」
「……そうなの? えー、何か悔しいなぁ、全然思い浮かばなかったのに」
「フェアーじゃないかも。『見た事がある』って言った方が、正しいかな」婉曲な表現に、偶見が首を傾げる。僕は正答を提示した。
「女の子を助けた、河川敷だよ」


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